
の廃家というわけですね。幾歳、ふるさとへ来てみればという、そういう観点なんですね。
先ほど森福先生は「うさぎおいしかの山」という歌を歌うと涙が出るとおっしゃいましたけれども、私のはもうちょっと古いですね。「ふけゆく秋の夜」という「旅の空」に「恋しやふるさとなつかし父母」というあの歌になるんですね。それは「旅の空」で思うという、こういうふるさとは遠きに在りて想うものというのは、いみじくも室生犀星が言っている言葉なんですが、中原中也に引きつけて申しますと、中原中也は「これが私のふるさとだ。清やかに風も吹いている。ああ、お前は何をしてきたのだと吹きくる風が私にいう」こういうふうに言うわけですね。それは自分白身への振り返りなんですけれどもなかはらかぜさん、後でその件につきましては、さやかに風も吹いてくるって、あれは彼のペンネームですからね、実名じゃないんですね、たしかということで、その点についてはまたお話があると思いますが、これが私のふるさとだと言えるということですね。それだけの自信というんでしょうか、それだけの安心感というんでしょうか、心の拠り所、そしてそれは実はかつて住んだよきところというのではなくて、今の生活の場であるということなんです。そしてそれは、未来にかけて住み続けても、そこは実は非常に安全で、快適で、そして未来へつないでいくことができる場所という、そういう意味でふるさとということを実はとらえていきたいと思うわけですね。ついでに申しますと、種田山頭火は「ふるさとの水がおいしい」とか、「雨降るふるさとを裸足で歩く」というふうな、こういうとらえ方をしております。
御当地の宇野千代は「ふるさとの水で顔を洗うことが、私の肌の潤いの秘訣です」と。「美顔術はどうしておられますか」と質問したときのお答えが「ふるさとの川西の井戸の水で顔をびしゃびしゃと洗うことです」というふうにおっしゃいました。そういうふうに、実はそこが自分の心の拠り所であると。そこに安心して住めると。そしてそれは未来へ継承できるという、これが実は私はふるさとというものの定義ではなかろうかというふうに思うわけですが、1つだけ具体的な例を挙げてお話にしたいと思うんですが、その2番目の安全快適な環境というところに、「保全と創造」ということを付け加えたんですけれども、この「保全」というのは、今あるものをどんなふうに完全に保つことが可能か、あるいはそれをどんなふうに伝えることが可能かということになるんですが、それにプラス創造、何かを付け加えていくということなんですね。これにはやはり非常に高度な技術だとか、あるいはいろいろな学問の総合的な利用とか、先ほどの科学のお話が出ましたけれども、科学で解決できていく場面というのも非常に多くあると思います。
そういうふうなことが複合的に創造していくということなんですけれども、そのときに私がいつも思い出すのが1つ、ふるさとのまさに「土間」なんですね。「たたき」
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