
〔福田先生〕
みなさん、こんにちは。福田百合子でございます。
今日は、先ほど森福先生の大変すばらしいお話を聞きまして、痛く感動いたしました。若い世代の方がこういうふうにだんだん育っていかれまして、その上に「理系作家」という言葉が出てまいりまして、薬学を御専攻になった方が小説をお書きになるというふうなことで、ちょっと分野を侵されたかなというふうな敵対心も持たなくはありませんでしたけれども、本当にすばらしいことですね。逆に申しますと、文系環境問題科っていうのも当然出てくるわけでございまして、私なんかはまさにその最たる者でございまして、全く環境問題というふうなことには関わっていない時代の方が長いわけですね。ずっと文学関係ばかりでございましたのに、最近は否応なしに、やはりそちらからのアプローチと申しましょうか、文系からのアプローチということがどうしても必要になってくる環境問題なんですね。
実は、私は「瀬戸内海の環境保全間題審議会」ていう委員会の委員を仰せつかったわけなんですけれども、そのとき全く意味がわかりませんでした。どういうアプローチをすればいいのかなというふうに、瀬戸内海のことを考えるときにそういうふうに思ったんですが、そのことに関しましては、21ぺ一ジに一応エッセンスだけといいましょうか箇条書きに上げましたので、そこをご覧いただきたいと思います。
そのことはどういうことかと言いますと、やはり問題を考えるためには一度間題点を整理する必要があると思うんですね。これは、問題の再点検、再確認というふうなところで上げましたけれども、これは今申しましたように、環境風土っていうのも風土論をもう一度見直さなきゃならないということなんですね。で、それは、実は景観とか風景とかというものも含めて、あるいは次に上げました、時間・空間・人間という、このミックス環境というのはこの3つが組み合わさったことなんですけれども、それは歴史というものを踏まえて今日がどう存在するのかと。あるいは未来にかけてどんなふうに展開するのかというところで、この問題を考えなきゃいけないというところにきていると思うんですね。ですから、環境っていうのはいろいろな、脇坂先生がその問題に取り組まれるのは誠に専門家でストレートに、それがストレートにその問題のところにいくわけなんですけれども、ここに文系の人の意識もそこへ加わらなければ達成することができないというふうに私は思うわけです。
それは奇しくもちょうど今の時代が心の時代へと、あるいは経済の再建をもう一度見直すという時代に差しかかっているという、時代の流れでもあるわけなんですが、私の場合は、そのふるさとという問題をもう一度文化の方から振り返ってみますと、実は、ふるさとっていうのは故郷ということですね。これは古の奈良の都というのと一緒でして、古きよき都というわけです。ですから、もう過ぎ去った栄華というんでしょうか、過ぎ去った繁栄というふうなとらえ方なんですね。古き都、ですから故郷
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