
今では年に一度の宇部祭りで踊り継がれております郷土芸能の「南蛮音頭」というのがございますが、これは炭鉱の縦坑から石炭籠を巻き上げるときに歌った歌でございます。ところで、今では宇部市の若い人達でもかつてのこの町の炭鉱のボタ山のことは誰も知りませんし、尋ねてくれることもございません。ですから、私が地元ではなく北海道でバスの中で若いガイドさんに「炭鉱のあった宇部市ですか」と言われてびっくりしたわけでございます。ガイドさんにお話を聞きましたら、確かおじいさんと言ったように記憶しておりますが、その人が昔のタ張炭鉱で働いていて、宇部市にあった炭鉱の話を家族にしたことがあると。それで宇部市という名前が記憶にあったんだということでございました。現在は、宇部市と同じように夕張でも炭鉱の跡は全くございません。かつての炭鉱は一面のメロン畑になっております。
昭和40年に入ってから、日本全国の炭鉱が、日本の石炭は余り良質でなかったものですから、あるいは採掘の経費が高くつくということもあって、次々に閉山していきました。宇部市でもすべての炭鉱が幕を降ろしました。私が生まれ育った家の近くにございました炭鉱の跡地は、今では住宅地になっております。
つまり、私にとりましては、幼い頃の思い出は今は全く見られません。すべてが変わってしまいました。つまり、私が小さい頃魚を捕って遊んだ川は、今ではまだ残っておりますけれども、水は濁っておりますし、ゴミがたくさん浮かんでおりまして、とても魚が住める川ではございません。
私は30数年間、大学で川や湖沼、海岸の水質保全につきましての教育と研究を続けてまいりましたが、ここ数年、河川敷に捨てられております大量の空き缶や空き瓶、それからダム湖一面に浮かんでおりますプラスチックのゴミを見るに及びまして、最近では河川やダム湖、町並みのゴミ汚染防止の問題に取り組んでおります。
日本には、昔から「山紫水明」という言葉がございました。美しい山が清い水を育み、人々はこの水の恩恵を受けて命を支え、農業や工業等の産業が起こってきたわけでございます。しかし、水の使い方に配慮が足りなくて、全国各地の河川や湖沼、沿岸海域で水質汚染を引き起こしたことは御承知のとおりでございます。
ところで、第2次世界大戦中及び戦後の耐乏生活、と申しましても年配の方にはおわかりいただけると思いますけれども、若い方には無理かもわかりません。その耐乏生活から奇跡的に立ち直ったわが国では、その後の経済の飛躍的な発展が起こったわけでございますけれども、国民の生活が豊かになった反面で、「使い捨て」の時代を創ることになってしまいました。大量生産、そして大量消費、これが今日の河川やダム湖、町筋にあふれるゴミとなって、美しかったふるさとを汚してしまったのではないかと思います。今私達が日々の生活や生産活動において、使い捨ての考え方を直さない限り、河川もダム湖も美しい町並みもいずれゴミに埋もれてしまいそうです。
平成5年11月に、日本では「環境基本法」が制定されました。この法律の骨子は、
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