
するということで、その子供の外遊びには子供時代を幸福にしてくれるエッセンスがそれこそいっぱいに詰まっているのではないか、そうに違いないと信じています。
ですから、ふるさとの環境に求められる温かさとか、安らぎとか、潤いとか、そういう言葉をもうちょっと具体的に考えたときに、子供が外に出て遊びほうけることができる環境か、子供に幸福な思い出を残してやれることのできる環境かというふうに表現することもできるのではないでしょうか。
私の年代の大島の子供の遊びというものを支えた環境にもう少し違う角度から考えてみますと、まず第1に、一見無駄だと思われるような広い空間というものがあったと思います。その広い空間っていうのは、広い、だだっ広い家だったりとか、農機具が積み重ねられている納屋だったりとか、豆が干してあるような庭だったりとか、もう少し範囲を広げれば近所の空き地ですとか、家の前を流れる小川とか、後は小さなため池とか、そういうものです。さらに大きな目で見ると、今度は歩いて数分のところにある広い砂浜と青い海と、あとは家の裏にもうすぐ広がっている山、雑木林、そういうものがすべて子供の領分だったわけです。
それからあと子供の遊びを支えたものとして、第2に、これは時代性ということもありますけれども、時間に追われないのんびりとした生活ということがあると思います。時間のゆったりした流れというものが、私の子供時代のふるさとには確かにありました。夏休みの終わりは別としましても、遊んでも遊んでもまだ遊ぶ時間があったというふうに記憶しております。
第3の条件ですけれども、これは遊ぶ仲間ということではないでしょうか。私の子供時代の大島というものは、過疎だ、過疎だというふうに言われながらも、まだまだ遊ぶ仲間は大勢いました。学年を超えて遊ぶということもよくありました。子供の遊びというものは、大きい子から小さい子へ伝達されて、その小さい子がまた大きくなって伝達役になるというその過程で、より洗練されて、よりおもしろさが増していくものだと思いますので、上級生から教えられた遊びっていうものが本当に魅力的だったのももっともなことです。
もう一度繰り返しますと、私が大島のふるさとで子供時代を過ごした頃、その遊びを支えてくれた大切なバックグラウンドとして、3つの要因があります。
1つは無駄と思われるほどの広い空間、それから時間的にゆとりのある生活、そしてもう1つは、時に学年を超えて遊ぶことのできる大勢の仲間ということです。これらは、子供の遊び、楽しい遊びのために不可欠であると同時に、ふるさとの環境の最もよい面というのを代表しているのではないかと思います。すなわち、ゆったりした空間、のんびりした時間、そして気の置けない仲間ということです。
ところで、ちょっと余談になりますけれども、京都の製薬会社に勤務していた若い父親達を休日ごとにレジャーに駆り立てているファクターっていうものはもう1つあ
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