
私の小学校の頃の話なんですけれども、放課後とか日曜日とかに何をして遊んでいたかと言いますと、野山を駆けめぐって、本当に毎日毎日遊んで遊んで、文字通り本当に遊びほうけていました。
今回のふるさと環境シンポジウムのポスターでは四季折々の山口の自然というものが大変ノスタルジックな感じで描かれていますけれども、本当にああいう感じで春夏秋冬を謳歌していたように思います。
春は田んぼに入ってレンゲを摘んでいましたし、首飾りをつくるのが楽しみでしたし、夏は夏で、夏休みになると1日も欠かさず泳ぎに行ってました。磯遊びとか魚釣りなんかにも熱中していたんですけれども、私の実家のある東和町の船越というところには小池っていう本当に素敵な、ちっちゃいけれども素敵な海水浴場がありました。どういうふうに素敵かといいますと、砂浜と磯と両方があるんです。沖合には、ちょっと沖になりますと飛び込みのできる岩もありまして、本当に小さな魚と遊ぶこともできますし、飛び込みもできますので、東京ディズニーランドなんかは目じゃないというぐらいのおもしろさだと私は思っています。
秋になりますと、今度は山で遊ぶのが楽しい季節で、もちろん大島ですのでミカンの産地ですから、お手伝いがてらミカンの収穫のために山に入ったりとか、後は雑木林で落ち葉を踏みながらドングリを集めたりとか、そういうことをして遊んでいました。
冬はといいますと、ポスターの方では雪が描かれてますけれども、大島はちょっと雪遊びはできなかったんですが、寒さをはねのけるために体を使う遊びというものに熱中しました。かんけりとか陣取りとか、後は大島一周という名前の遊びだったんですけれども、一種の障害物走みたいな遊びで、非常に乱暴ではありましたけれども興奮できる遊びでした。
唐突ですけれども、平安時代後期の今様とか歌謡とかを集めた書物に「梁塵秘抄」というものがあるんですけれども、その中に私の大好きな歌が収められています。「遊びをせんとや生まれけん戯れせんとや生まれけん遊ぶ子どもの声きけばわが身さえこそゆるがるれ」そういう歌なんですけれども、まさにこの「遊びをせんとや生まれけん」という言葉そのままの子供だったと思います。
こうして、ふるさとの大島で遊び暮らした唄っていうのを思い出してみますと、本当に子供の天国のようなところだなあと思いますけれども、そのふるさとの東和町が全国でも高齢化率1位というのは非常に皮肉というか大変もったいないという気がしています。
私は児童心理学みたいなものを論じるような資格も経験もないんですけれども、1つだけ些か頑固な持論というものを持ってまして、それは、子供の外遊びと環境とは切っても切り離せない関係があるということです。環境が健全ならば子供は外遊びを
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