日本財団 図書館


どうということもない本当に日常的な光景がいつまでも忘れられなかったりします。
 私は、京都の製薬会社の研究所に勤務しておりまして、毎日ラットを解剖したり、そのラットの白血球を染色したり、今度はその血液中の酵素を分析したりとか、そういう仕事をしていたんですけれども、肉体労働ですので、そういうことをするのは大体若い研究員がほとんどで、私の周りにいた人達っていうのもそういう若い人か、もう少し上の結婚して小さな子供が1人か2人という人達でした。もちろん、昼休みなんかには集まって雑談するんですけれども、月曜日の話題っていうものが、私にとっては非常にうらやましいというか不思議に感じられていました。
 子供を持っている若いお父さん達っていうのは、土日の休日に家族を連れて、例えば琵琶湖にドライブに行ったりとか、岡崎の動物園に遊びに行ったりとか、鞍馬の山奥でキャンプをしたりとか、そういうことをしたっていうことを月曜日に話し合っているわけなんですけれども、それを聞いていて、最近の若いお父さんっていうのは本当に家族サービスに熱心なんだなということで、私は羨ましいと思っていました。私白身は家が兼業農家ということもありまして、父の勤めが休みの休日は父は畑の方に出てましたので、日曜日に家族でどこかに出掛けるということはまずなかったからです。けれども、その後京都で何年か暮らすうちに、その土地の平均的な家族像っていうものがわかってきますと、彼らが土日ごとに出掛ける理由は、どうやら家族サービスだけではなさそうだということに気がつきました。
 学齢期前後の子供とその両親とが休日に一日じゅう家に引きこもっている、家またはその周辺に引きこもっているということは、物理的に不可能ですし、本当に不健康なことなんです。京都ほどの都市になりますと、家一戸あたりの面積というものはどうしても小さくなりますし、俗にいううなぎの寝床だったりしますと、庭もあまり取れませんし、家の周囲はっていうと家がたて込んでいたりとか、公園があったりしても木が2〜3本にブランコとかすべり台とか、そういう具合ですので、親子でなかなか遊ぶ気にもなれないと思います。もちろんマンションでも事情は同じですけれども、そういう状況ですので、閉塞感は物すごかったと思います。ごく当たり前の人間の欲求として、そういう家族はより開放された空間とさわやかな空気と温かい陽光と緑とを求めて、外に出掛けて行ったのだと思います。行楽というのが単なる楽しみではなくて、子供の健やかな発育のために絶対的に必要なものだったんだなというふうに思っています。
 翻って、土・日曜日にどこにも連れて行ってもらえなかったかわいそうな子供時代の私の話なんですけれども、もっとも、今の私が自分の子供時代を振り返ってみますと、これほど幸福な子供はいなかったなというふうに恩います。私は小説を書いていますので、言わば嘘をつくのが商売ですけれども、こういう嘘はなかなかつけるものではありません、本心です。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION