
ないかという疑いを持っています。つまり、2色の空で育った人がこれでよしというレベルで環境を考えてしまうと、今まで灰色だった空というものは灰色の色が薄くなるという改善がなされるかもしれないけれども、それまで青い色だった空が薄灰色になってもそれが許されるということにもなりかねない。そういうことを私は危倶しているわけなんです。この環境に対する感覚っていうものは、そういう体験に根ざしたことでもあるので、その感覚自体を責めることはできませんけれども、灰色の空よりも青い空がいいということは絶対に明らかなわけなんですから、青い空の下で育った人っていうのは、不幸にも灰色の空の下で育った人に対して、その灰色っていうものは本物ではない、青い空が本物なんだということを訴え続ける義務があるのではないかそういうふうに思うわけなんです。これが、先ほど申しました2色に分かれてしまった空に対する驚きを人に伝えなければいけないのではないかと思ったのは、こういう理由です。
私は、ふるさとである山口とそこで育った私達の一つの使命というものがそこにもあるのではないかと思っています。ふるさとの環境のよさというものを、限られた土地の中で享受するだけではなく、もっと大きな意味でも環境の問題に関わっていきたいというふうに思っています。
私の育ったふるさと山口県大島というところはとてもすばらしいところです。局所的には多少問題はあるかもしれませんけれども、少し行けば青い海が広がっていますし、山に行けば山には山のすばらしさがあると思います。ですから、ふるさとのみなさんと、今は東京だとか大阪だとかそういうところで暮らしているけれども、ふるさとで育った私達というものは、そのことを深く深く自覚するべきだと思っています。日本のほかの土地と比べても、これほど人と自然とが温かく寄り添い、本当に快適な環境で寄り添い合っている環境はないということを自覚して、また誇りに思い、うんと自慢してほしいと思っています。その自覚と誇りとがあれば、例えば非常に卑近なことですけれども、そこに住んでいる人が無神経に川や海にごみを捨てたりとかして汚すということもなくなるのではないかと思います。
少し観念的なことばかりになってしまいましたけれども、本筋に戻って、瀬戸内の島と関西や関東の都市部と、その両方で暮らした経験を持つ一人として体験談の続きを述べさせていただきたいと思います。
もっとも関西に行く前に、広島でしばらく過ごしたわけですけれども、そのときは地理的に近いということもありまして、それほどふるさとに対する思い入れというのはまだなかったわけなんですけれども、就職して京都に行ったときから、本当にふるさとについてあれこれ考え始めました。
実を言いますと、私は非常に忘れっぽいたちでして、3年間住んだ京都の街っていうものについても既に記憶がかなり暖味になっているんですけれども、その一方で、
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