
ですとか、未来ですとかについてもう一度考えてみたくなった、そこに至るまでの体験談、本当に個人的なものですけれども、体験談というふうに受け取っていただけたらと思います。
恐らく、私はこういうふうな経験をしたとか、こういうふうに思ったとか、個人的な内容になるかと思いますけれども、こういうアプローチの仕方もあるのではないかということで、よろしくお願いいたします。
再び自己紹介の延長になりますけれども、私は生まれてから18歳の年まで、山口県大島郡東和町の方で過ごしました。大変月並みな言葉になりますけれども、海と山の自然に恵まれた、本当に環境のよいところです。そういうところで育ちました。 当時の私というのは、大島に対して、人が人らしく生きるために非常に適した土地ではないかというような漠然とした認識はありましたけれども、若者の常で、都会にも非常に憧れていました。余り旅行というものをしたことがありませんでしたので、その憧れの大都会を訪れたのは、受験がきっかけでして、そのときに福岡、名古屋っていうふうに行脚して回ったんですけれども、大阪に行ったときに非常に驚いたこと<がありました。
新幹線から降り立ったときっていうのは、周りが高い建物に囲まれてまして、ちょっと気がつかなかったんですけれども、その日は親戚の家に泊まるということで、住宅街まで来たところで、「あれ、何か変だぞ。どこかが何か違ってるぞ」というふうに思ったんです。で、いつもと違ってたというのは、空の色でした。地平線あたりに目をやってみますと、もやもやっていう感じで紫色がかった雲がかかってたんですけれども、じゃあ今日は曇りだったかなと思って真上の方を見上げてみますと、そこは雲一つない空が広がっていたんです。で、もう一度水平線の方を見てみますと、やはりもやもやと紫がかっているということで、空が2色に分かれていたんです。そういう空が2色に分かれているということに気がづいたときには、本当に今でも鮮明に覚えているんですけれども、口をあんぐり開けてしまうほど驚いてしまいました。なぜならば、大島でならば晴れている日の青空っていうものは本当にどこまでも抜けるように青くて、ぐるっと頭をめぐらせても空と山が接する、空と海が接するその接点まで真っ育っていうのが本当に当たり前だと思っていたからなんです。けれども、大阪の街はそうではありませんでした。大気というのは大体500キロメートルの厚さで地球を覆っていますけれども、もちろん空気は上空に行くに従って薄くなります。けれども、水平方向に目を向けて見ますと、普段は見ていると意識していなくてもそこには数キロにわたって空気というものが横たわっているんですけれども、その空気の中には塵ですとか、挨ですとか、硫黄酸化物ですとか、あるいは窒素酸化物ですとか、そういう化学物質などが入り混じって浮遊して、しかもその空気が数キロの厚さにわたって目の前に横たわっていれば、それは当然、そういう不純物が多ければ多いほど
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