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ただしポーランドの民営化は非常に複雑なプロセスの元で進められており(5)、これらの指標のみで一概に民営化が進んでいるとかそうでないといった判断を行うことはできない。これらの指標は、今後他の「体制移行諸国」と比較を行う際の参考として利用することを想定して示したものである。

 

3 ポーランドの地方制度

(1) 地方制度の概史

ポーランドが独立を回復する1918年以前には、分割された地方ごとに異なる、それぞれの地域を支配する国の制度に倣った地方制度が存在していた。プロイセンの支配下におかれた地域では、最上位の広域団体として邦(prowincja)が存在し、その下に中間団体として自治単位でもあり国家行政機関でもある市(rejencja)並びに郡(powiat)、そして基礎団体としてグミナ(gmina)と王領地が存在するという三段階の制度がおかれていた。一方オーストリアの支配下にあった地域では、プロイセン同様自治単位と国家行政の両方の機能を果たす郡(powiat)の下に、基礎団体としてグミナ並びに王領地が存在するという二段階制が敷かれていた。そしてロシアの管轄下にあった地域では、いくつかの「地区」とその集合体としてのグミナの上に郡(powiat)と県(gubemia)が存在していたが、これらは自治単位ではなく国家行政の地方区分にすぎなかった。

独立後は従来の各地方ごとの制度との整合性に配慮しっつ、県・郡・グミナの三段階の枠組みを基盤とする新しい制度の導入が進められた。広域団体として設置された17の県(wψwodztwo)は、従来の地域や郡県の境界を基準としてその境界が定められた。その中で首都ワルシャワ県と、旧オーストリア領を中心とするシレジア県は、特別な地位を与えられていた。中間団体としては郡(powiat)が全国に設置され、基礎団体は西部では従来のグミナ(gmina)がそのまま維持され、一方旧ロシア領ではいくっかの「地区」を合併した新しいグミナが設置された。これらの地方団体の数は、1939年4月の段階で17県264郡3,195グミナであった。

第二次世界大戦後は県(wojewodztwo)、郡(powiat)、市(miasto)並びにグミナ(gmina)の三段階を基本として、これに補助単位としての地区(gromada)並びに区(dzielnica=ワルシャワとウッジ)が存在する制度が導入された。ただし戦後の領土変更に伴い西部の旧ドイツ領を中心に新しい県・郡・グミナが設置され、1950年の段階で22県324郡2,994グミナが存在していた。

その後1954年の地方制度改革によりグミナが廃止され、従来の補助単位であった地区(gromada)に地方行政の基礎団体としての地位が与えられることとなった。この制度改革は、当時の共産党政権が農村の所有構造の変更と国有化・集団化の促進を目

 

 

 

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