存続を旨とするといったものであった。1995年初めに提出された勧告では、それまでの39非大都市圏カウンティのうち、7カウンティが廃止され、また14カウンティでは一層制と二層制の複合に移行することになっていた。[15]
メージャー保守党政権は、一層制地方自治を行う地域をなお拡大しようとしたが、バンハム委員会はこれも大部分を退けるとともに、委員長がその職を辞職した。さらに、この勧告を受けた後の環境省による再編案に対しては、廃止や一部地域の独立の影響を受けるカウンティの抵抗が続いており、地元選出国会議員を巻き込んだ反対運動や、裁判にも持ち込まれた争いが続いた。1995年末の報道によれば、46ユニタリー・オーソリティ(一層制地方公共団体)が生み出されるにとどまることとなっていた。[16]1996年4月には、まず、この大幅に縮小された再編案に沿って、3カウンティの廃止とその下にあった一部のディストリクトの一層制地方公共団体への再編(たとえば、ブリストル、バース)および残存地域の近隣ガウンティヘの編入、そしていくつかのカウンティからの一層制地方公共団体の独立(たとえば、ヨーク)が、ウェールズ、スコットランドにおける(この両地域では、一層化が全地域にわたって行われた)同様の再編とともに実施されている。[17]
2 ロンドンの地方行財政制度上の特例
すでに述べたように、1986年のGLC廃止によって、現在ロンドン全域を総合的にカバーする地方公共団体は存在しない。アで述べたように、かつてGLCが管轄していた業務・サービスは、現在は特別区ないし特別区の共同処理機関に委ねられているものもあるものの、一部は中央政府に回収された。このことからも明らかなように、現在のロンドンの地方自治はGLCの挑戦と敗北の後弱くなったといえる。
しかしながら、時代を通じて見た場合も、イギリスの首都ロンドンの地方自治の特色は、一言でいえば常に「弱い」地方自治であったことである。ただし、これは中央政府のコントロールが強く、他の地域では地方公共団体に任されていることがロンドンでは中央政府の手にある、ということを必ずしも意味するものではない。警察については、たしかにロンドン警視庁と内務大臣との結びつきが他の地域と比較して強いという例外を指摘できるが、それよりもロンドンの弱さは、全ロンドンをカバーする地方公共団体があった時代(LCCおよびGLC,1888年〜1986年)も、なかった時代(LC