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以来(ナチス期をのぞく)、全域を20区に分割し、そこにおいて区行政を施行してきた。現在では、旧西ベルリンの12区と旧東ベルリンの11区、あわせて23区において「自治行政」が行なわれている。
 ドイツでは、ベルリンのような大都市に限らず、中小都市においても区制度が広く行なわれている。その淵源はシュタイン市制にまでさかのぼり、1808年のプロイセン市町村法は、人口800人以上の都市は複数の地区に区分されねばならない、と規定していた。とはいえ、今日の市区制度をみる場合、1960年代の大規模な地域制度改革の影響も見逃すことができない、市町村の統廃合により規模の大きくなりすぎた自治体をふたたび区分して、市民と行政の距離をちぢめることも、大きな契機となったのである。
 ベルリン区の「自治行政」とはいっても、他の一般州の市町村に保障された自治権のすべてが認められているわけではない。ベルリンは都市川(Stadtstaat)であり、地方自治の前提である国家と地方自治体の両極がそもそも存在せず、都市州としての一体性を保っためにもある程度の集権化が必要とされている。たとえば、ベルリンの区は法人格をもたず、条例制定権、課税権、予算策定権を与えられていない。また、区で行なわれる「自治行政」はあくまでも行政であり、区議会の議決権の対象も行政上の決定に限られている。権限の観点からすればベルリンの区は、東京都の特別区と政令指定都市の行政区の中間に位置するといわれる所以である。

(2)ベルリンの行政制度の沿革

 第一次大戦前のベルリンは郊外が急成長し、1871年には約93万人だったベルリン大都市圏の人口は1871年の約93万人が1910年には約370万人まで増大した。その過程で生じた行政区域と都市圏のズレに由来する問題を解決するために、1911年には大ベルリン目的組合が創設され、住宅・交通問題の広域的解決がはかられた。
 第一次大戦後、1920年4月にはいわゆる「大ベルリン法」が制定され、ベルリン市は周辺の7都市、59市町村、27私領地を統合して、面積約880km2、人口約380万人の大ベルリンが誕生した。それと同時に、市の全域は20区に分割され、そこで区行政施行された。
 ナチス時代には、ヒトラーの独裁を認める「指導者原理」の導入、帝国首都ベルリン制度の改編などにより、ベルリンにおける市政も区政も形骸化されてしまった。

 

 

 

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