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旧東ドイツ地域の市町村にとって、行財政力の拡充や効率の向上よりも、まずは地域における民主主義を確立することのほうが優先課題だったのである。

(4)統一後ドイツの財政状況

 1992年における旧東ドイツ地域の支出に対する税収の構成比をみると、旧西ドイツ地域の州が68%、市町村が35.7%であるのに対して、旧東ドイツ地域の州は24.5%、市町村は7.2%ときわめて低い。この状態を放っておけば旧東ドイツ地域の破産は免れないため、「ドイツ統一」基金の設立(1990〜1994年)や、連邦財政緊縮計画法(1993年5月)に基づく新五州の財政援助(1995年〜)が実施されている。しかしながら、1994年で終了する「ドイツ統一」基金と異なり、連邦財政緊縮計画法は財政状況のもっともひどい旧東ドイツ地域の市町村に対する財源保障を規定せず、州立法者の裁量に委ねるなど、市町村の死活にかかわる問題が残されている。
 このように、新五州の再建問題は統一ドイツの連邦制の安定を揺るがしている。また、連邦による旧東ドイツ地域の再建政策を通じて、統一ドイツが「集権国家」に向かっている、と懸念する声もあがっている。すなわち、官僚制化と統一化、財政力の弱い州の連邦政府への依存、州権限の連邦への移管が進行しているとみられているのである。

2 ベルリンの行政制度とその再編

 (1)東西ベルリンの統一

 ベルリンの壁の崩壊(1989年11月)とこれに続く東西ドイツの統一(90年10月)によって、ふたたび一つのドイツ、一つのベルリンが誕生した。旧東ドイツ地域は基本法の規定にもとづいて旧西ドイツ(ドイツ連邦共和国)に編入され、メグレンベルク・フォアルポンメルン、ブランデンブルク、ザクセン、ザクセン・アンハルト、チューリンゲンの新五州では統一前の東ドイツで制定された「市町村および郡の自治行政に関する法律」(90年5月)が共通の地方制度の枠組みとして適用され、とりあえずは、これにもとづき民主制と地方自治の再建がすすめられることとなった。その後、これらの五州では新憲法が制定され、あらためて地方自治が保障されている。
 統一ベルリンの面積は約880km2、人口は約340万人に及ぶ。ベルリンは1920年

 

 

 

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