現在のパリの場所には、紀元前、すでにケルト人の街があったといわれ、紀元50年頃にはガリアを征服したローマ人により都市が作られた。しかし、首都としてのパリの歴史は、508年のクロヴィスによる首都建設にはじまる。12世紀頃からノートルダム寺院など現在も見られる歴史的建造物の建築が開始され、徐々に首都の体裁が整えられていった。近代に入ってからは、皇帝ナポレオン三世の時代(第二帝政期、1852〜1870年)に、パリ県知事に任命されたオスマン男爵のもとで大規模な都市改造が実行され、いまの町並みの基礎が完成した。都市の大改造に先立ち、1859年にはパリ周辺の11の市町村が新たにパリに編入され、パリ市はそれまでの12区から20区に再編されることになった。パリの市域はその後拡張されておらず、20区の編成にも変化はない。
しかし、大革命期後、次第に地方自治が拡大するなかにあって、パリだけは首都としての性格上、他の市町村とは異なる扱いを受け、長らく国の直轄といってもよい状態にあった。
ナポレオン一世の時代のパリは、一市だけでセーヌ県のなかの一つの郡を構成し、パリ市の行政は内務省の官吏であるセーヌ県知事と警視総監(Prefet de police)