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彼の意味世界に<カリブーのステーキ>は存在しなかった。「カリブーのステーキ」という未経験のコトバが未経験の新しい意味を生成・創出したのである。われわれがコトバによって未経験の新しい意味を創出できるのは、コトバを媒介にして記憶を分解・再編・統合することができるからである。記憶の分解・再編・統合といっても、元の、「カリブー」や「ビーフ・ステーキ」が取りまとめる記憶が解体されたり消滅したりするわけではない。記憶のある部分を活性化したり逆に別の部分の活性化を抑制したりして、つまり、引き込み合いによって、関連配置することを分解・再編・統合と表現しているだけである。ともあれ、こうして人間は直接の体験を超越した意味世界を創出することができるのである。もしA氏が魅力的なカリブー・ステーキのイメージを創出できなかったとしたら、果たして、その後の会話がカリブー・プロジェクトに結実したかどうか分からない。A氏が漠然としたイメージしか描けなかったら、その後の会話展開はちがったかもしれない。同じようなことはB氏の側にもいえる。例えば、ビジネス経営に関するA氏の話を適切に意味づけできなかったとすれば、このプロジェクトに二の足を踏んだかもしれない。このように考えると、プロジェクト・ヴィジョンの創出はハプニングの連続の結果だったのかもしれない。意味づけの相互作用はハプニングをはらんだスリリングなプロセスなのである。コミュニケーションのもつこのスリリングな性格は、記憶に由来する四つの《意味づけの不確定性》に起因すると考えられる。まず、人が生きる過程でそれまでに蓄積してきた記憶は人によってさまざまに異なる。そのため、同一のコトバがアクティベートし関連配置を形成する記憶は人々の間で一致している保証がない。したがって、意味づけは人によってさまざまとなりうる。《意味づけ論》はこれを意味づけの《多様性》と呼ぶ。次に、記憶をアクティベートするのはコトバだけでなくコトバを含む場面である。そのため、同一のコトバにたいする同一人の意味づけであっても、場面によって、さまざまでありうる。これを意味づけの多義性と呼ぶ。また、生きる過程で記憶は蓄積され続けるから、記憶連鎖集合の変化によって意味づけが変わってくる。これを《履歴変容性》と呼ぶ。さらには、意

 

 

 

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