のであれば、それは人々の「行動の連鎖複合」だということになる。しかしながら、人間行動には状況についての主体の《意味づけ》が介在している。したがって、人間の相互作用は玉突きのようなたんなる物理的反応の連鎖ではない。何事にも意味づけする人間同士の行動の相互作用は、場の状況の意味づけを介して展開する。したがって、社会現象は「行動・意味づけの連鎖複合」なのである。このことはコミュニケーションにも当てはまる。例えば、二人の間の会話を考えてみよう。一人が発話すると、それを聞いたもう一人が応答の発話をする。その連続が会話である。したがって、会話は確かに発話行動の連鎖である。しかし、一人が発したコトバにもう一人がどういうコトバで応じるかは、聞き手の《意味づけ》による。もし意味づけが機械的メカニズムによって自動的になされるのなら、発話されたコトバがそのまま応答のコトバを決めることになる。そうであれば、人間コミュニケーションも情報機器間の通信コミュニケーションも基本的に同じである。しかし、人間コミュニケーションには本質的なちがいがある。意味づけは機械的メカニズムの作動とちがう。それは、不確定性と秩序性が共起するプロセスであり、機械の作動プロセスと本質的に異なる。このちがいを無視すれば、会話はたんなる発話行動の連鎖である。しかし、《意味づけ》を重視すれば、会話は、たんなる記号交換ではなく、コトバを媒介メディアとする《意味づけの相互作用》である。意味づけ論におけるコミュニケーション概念の最大の特徴はここにある。人間コミュニケーションは、ときに新しいアイディアを生み出す創造性を発揮するかと思えば、また、ときには迷走し破綻する。一見相矛盾するように見えるこのような人間コミュニケーションの特性は、《意味づけの相互作用》から生じる特性である。このことを見据えるならば、コラボレーションがコミュニケーション協働によって支えられた共同作業あることが理解され、また、協働を促進するコミュニケーションの在り方を具体的に考える道筋が見えてくる。人間のコミュニケーションは、今までにない新しい価値を創出する素晴らしい潜勢力をもっている。しかし、同時に、迷走や紛糾を引き起こす可能性もはらんでいる。創造的であることと迷走・紛糾を惹起することとは、
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