迫られていることである。これは日本的事情である。しかし、このことは成熟した先進諸国の経済一般に拡張することができる。安い労働コストを武器とした途上国の追い上げに対して、新しい価値の創出で対抗しなければならない先進国にとって、新しい技術や知識の創出こそが繁栄の究極的な源泉である。二つには、世の中が複雑化して一人の人間のもつ専門化・細分化された知識・技術では新しい価値の創出がなかなか困難になってきたことである。知の総合化・融合化の重要性は早くから指摘されていたことであるが、それを実現したり促進したりするには、専門化・細分化された知識・技術の総合化・融合化を図る協働の営みが必要になる。三つには、経済的豊かさが増大し、人々がひたすら全体のために犠牲となって働くよりも個性を発揮しつつ自分なりに生きることをより強く望むようになってきたことである。主体性と社会性との調和を如何にして実現するかは、豊かな社会における人間の生き方にとって最も重要なテーマの一つとなってくる。このような事情から、専門化・細分化された知識・技術や個性・主体性を価値の創出に活かす共同作業の在り方としてコラボレーションに関心が寄せられるようになったのは、むしろ、当然のことかもしれない。実際、コラボレーションを積極的に活用する組織形態もではじめている。例えば、マイクロソフト社は、分社化を進め、プログラム・ソフトの開発などを身軽で自由な小集団の協働に委ねることで大きな利益を上げている。しかし、《コラボレーション》は、注目されているわりには、その概念も内容も暖味なままあれこれ取り沙汰されている。実のところ、コラボレーションによる価値創出は、人間がその「生の営み」において、世界を意味づけし、また、互いの意味づけを社会的に調整する、《意味づけとその相互作用としてのコミュニケーション》にその核心がある。そこで、本稿では、慶応義塾湘南藤沢キャンパス(SFC)でわれわれが進めている《意味づけ論》の研究を手掛かりにして、その概念とコラボレーションの促進条件について考えてみたいと思う(注2)。本稿は、コラボレーションを、情報技術の視点ではなく、意味づけとコミュニケーションの視点から社会現象として把らえる試みである。ただ、技術的側面、すなわち、協
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