日本財団 図書館


示・無料健診をやったり、地域に開放するような形で、病気でなくとも気楽に相談できる機能を持とうと、大学の診療内科から医者を呼んで、新しい医療活動を始めた。また誕生月健診の会という、毎月千円を積み立て、誕生月に1万2千円で健診をやる会を企画したところ、相当効果があり、これは患者さんの組織みたいな形になった。それから「ふれあい」という機関誌を出して、地域の人で編集委員会をつくった。こうした取り組みは、今は比較的多くの病院で行われているが、当時(昭和59年頃)は地域の中における医療機関の新しいスタイルとして評価もされ、経営的にも安定していった。そういう中で、私自身、地域に非常に関心を持つに至った。訪問看護制度がまだない頃であったが、保健婦を採用し、地域にできるだけ訪問に出向いて、地域にできるだけお年寄りを積極的に帰していく。そのためには例えば腰痛症なら、あるレベルで治療は完結する、そこで、完全に治癒しないでも、家庭生活ができるようになったときに帰していく。入院というのは、やはり退院を前提とした入院でないと余りにも不幸ではないかと考え、地域に非常に関心を持つようになり、地域の懇談会に積極的に若いドクターが行って、健康や予防について話をするということを続けていった。地域の方は、医療機関は病気だけでなく、普段の健康上の相談もでき、さらに生活上の相談や法律的、社会的な相談までできる機能を持っているということを知ると、日常的に病院に出入りするようになる。私はそれを見て、病院としての基盤が強化されたと思った。そして私は病院経営から手を引くことにした。

(3)巡回介護を始めるまで

その頃は厚生省が民間のシルバービジネス育成施策を始めた時期だった。そういう研究会に接する機会の中で、次は地域の中で高齢者の問題を考えることを自分の最後の仕事にしようと考え、病院の中で一緒に苦労した仲間に呼びかけ、2,3人でコミュニティー・メディカル・システム・ネットワーク:コムスンという会社を昭和63年に設立した。当時から私は、医療から見て、福祉は制度として幼い、貧しいものという認識を持っていた。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION