神集島(かしわじま)
(ア)位置・航路
唐津市北西部、湊港の沖合い北北東2.5kmにある周囲6km、面積1.42km2の島(内海・本土近接型離島)で、玄海諸島中高島に次いで福岡市に近い。
航路は湊から神集島が2航路、西唐津・湊・神集島が1航路あり、利便性が高い。前者は航路2.5km、時間にして10分。客船は第二神集島号14.0t(神集島漁港)が1日7便と第七豊明丸5.9t(個人)が1日4便就航。後者は10.5km、時間にして30分。客船は第8荒神丸52.2t(神集島漁港)が1日3便就航している。
(イ)沿革・歴史
古来、大陸と松浦を結ぶ航路上にあって渡航船の寄港地であった。島名は、※しらぎ神功皇后が新羅出兵のおり、神々を集めて海上の安全を祈ったことに由来する。古くから人の往来や定住があった島で、海人族の遺跡、鬼塚古墳群はじめ皇后評議石、遣新羅使の歌った万葉集の和歌、海底から引き上げられた元寇時の蒙古船の碇石、住吉神社、祇園祭など古代史や歴史文化遺産に富む島である。
※神功皇后:仲哀天皇の皇后。名は息長足媛(おきながたらしひめ)。開化天皇第五世の孫、息長宿禰王の女(むすめ)。熊襲(くまそ)叛するに及び天皇とともに西征、天皇香椎宮に崩御の後、新羅を征して凱旋し、誉田別皇子(ほむたわけのみこ)(応神天皇)を筑紫で出産、摂政70年にして崩。(記紀伝承による)
(ウ)自然・土地
最高80mの山塊を有する台地状の島でその島影から軍艦島と呼ばれる。市の天然記念物であるハマユウ群落が240mも連なり、タヌキ、野鳥も生息する。岩礁性の海岸線が6kmあるのも特徴で、栽培漁業の適地となっている。
(工)人口・産業・島内交通・生活環境
平成7年国勢調査で人口は711人と漸減傾向にある。老年人口比率は23.3%、年少人口比率は16.6%となっている。玄海諸島で2番目に人口が多く、高齢化は比較的進んでいる。
主力産業は水産業で生産額約14.3億円(平成5年)。大型定置網・一本釣りなど漁船漁業が主体であるが、アワビ、ウニ、エビなどの栽培漁業も盛んである。問題は資源の洞渇と漁民の高齢化で、就業者は100人程度であるが、その50%以上は50〜60歳代で、漁業継続に先行き不安がある。
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