これら西欧造船国と較べ、わが国は納期は別として、地理的に、また円高による船価の点でも不利な立場にある。
(B)輸出対策
ガーナにおける船舶の輸入先は、殆ど旧宗主国の英国をはじめとして西欧地域に限られている。
これは、ガーナが経済、技術、文化などの面で積極的な協力、援助、指導を受けているからである。
従って、各国ともガーナの経済事情や国内事情に通じているので、特に輸出拡大策を講じてはいない。
(C)ガーナとの歴史的、経済的なつながり
ガーナは1957年3月、約1世紀にわたって黄金海岸とよばれた英国植民地の地位に終止符を打ち、英連邦内の一員として独立した。
ガーナの独立は、大戦後サハラ以南のアフリカ各地で台頭した民族主義運動の最初の成果であり、いわば黒いアフリカ諸国独立の先駆者である。
この黄金海岸(Gold Coast)の名称が欧州に広まったのは、ポルトガルの海洋探険隊が15世紀後半に、金、象牙、香料などを捜しに来たからである。
1553年に英国人が貿易のため最初にこの地に渡来し、以後300年の間、英国、スウェーデン、デンマーク、オランダ、ドイツ、ポルトガルの諸国が、それぞれ時期を異にして、ゴールドコーストの各地を支配していた。
英国は1940年代から50年代にかけて、近隣の種族達と友好関係を結ぶとともに、さらに、堡塁の境界線を越えて保護管轄区域や裁判管轄区域を拡大していった。
このため、英国保護地域内の住民は、部族同志の戦いや、略奪などに悩まされることなく、安心して商売ができるので次第に繁栄していった。
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