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ローマ人との混血の「ダッコ・ロマーナ人」という現ルーマニアの祖先民族が誕生した。

西暦271年には、ローマ軍は撤退するが、ダキア・ローマの混血住民の多くは現在のルーマニアの地に残留した。

現在のルーマニアが、スラブ系民族の多いバルカン半島諸国の中では、唯一のラテン系民族の国であるのは、この時以来のものだといわれている。

ルーマニアは、何世紀にも亘って、ハンガリー、オーストリア、オスマン・トルコなどの強国から絶えず圧迫され、支配され、搾取されていたので、社会・経済の発展は遅れていた。

広大な地域に住むルーマニア人の間に、民族運動が出はじめたのは、19世紀に入ってからである。

1877〜78年のロシア・トルコ戦争で、ルーマニアはロシア軍に参加し、トルコ軍を破った。その結果、ベルリン会議で独立が認められ、ルーマニア王国となった。

1983年に、ドイツ・ナチス政権の影響を受けて独裁国家となり、41年に対ソ戦に参加したが、44年にクーデターで軍事独裁政権が倒れ、ドイツに宣戦、45年に共産党政権が誕生、47年12月に王制を廃止して人民共和国となることを宣言し、65年に憲法を改正して、祉会主義共和国となった。

89年12月、地方都市で端を発した反社会主義暴動は、全国に波及し、同年12月22日、社会主義政権は崩壊し、終了した。

90年1月以降も「共産主義打倒」を叫ぶ反政府デモが繰り返し行われ、更に国内経済情勢の悪化する中でストも頻発し、不安定な政治・経済情勢が続いている。

1991年12月に公布された新憲法の第1条第2項には、ルーマニア国の政体は単に共和制である旨が規定されている。

89年革命以後のルーマニアでは、従来の中央集権的な計画経済を捨て、民主的な市場経済への移行を図ることが課題となり、90年中に従来の経済構造の批判的分析を行ない、92年6月までに価格改訂、企業民営化、農業改革、財政改革などを行ない、92年7月には急速に市場経済へ移行することとした。

これら市場経済への移行の動きは、93年に入ってからも続けられているが、非常に漸進的なもので、大幅に遅れており、改革プロジェクトの目指す92年6月までに





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