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また、92年3月にバルト海沿岸諸国協力に参加した。

米国との関係では、両国間の関係について協議すると共に、両国の関係強化をうたった92年3月の「米ポ宣言」に調印した。

英国は、東欧支援のための基金を設立し、その基金を通じて、ポーランドの民主的な社会建設および自由市場経済移行へのプロセスを支援している。

フランスは、ポーランドの経済改革に付随する特定分野、特定企業、特定地域などに分類して、基金を通じてきめ細かく支援している。

イタリアはポーランドの医療分野に、カナダは農業分野に、それぞれ支援している。

わが国との関係は、15世紀の初め、マルコポーロの「東方見聞録」により、欧州に日本が紹介され、ポーランドも日本の存在を知ることができた。

また、日本に初めてポーランドの存在を知らせたのは、1268年に元の使者が北条時宗に伝えた図書であった。

日本へ最初に来た宣教師フランシスコ・ザビエルが、初めて具体的にポーランドについて語ったのは16世紀半ばのことであり、最初に日本を訪れることになったポーランド人は、宣教師ヴォイチュー・メンチンスキであった。

しかし、当時の厳しいキリシタン禁制のため、同宣教師は上陸後、幕府に捕えられ、長崎の獄舎で殉教の死をとげた(1642年)。

日本の鎖国後、最初のポーランド人の来訪は、作家で民族学者のヴァツワフ・シュロシェフスキといわれ、彼は日本の大きな将来性に早くも着目し、この勤勉な小さな島国について理解を深める必要があると訴えており、特にポーランドとの関係で、日本との緊密な文化的交流はポーランドに有益なところが大きく、日本人ほど高い内容をもった愛国心、市民的義務感、法と秩序を尊重する心を持った国民は全世界に例をみないと述べている。

1924年に東京に日本・ポーランド協会が設立され、両国の経済・文化・科学の交流が促進され、ワルシャワにもポーランド・日本協会が設立された。

第2次大戦後の1957年には両国間の外交関係が再開され、今日に至るまで両国間の政治・経済・文化関係は、戦後長期間に亘る政体の相違と距離的隔りがあるにも拘らず、比較的順調な成長を遂げている。





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