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自治国となった。

しかし、その後も列強の従属下におかれていたため、完全な独立国になったのは1908年である。

第1次世界大戦ではドイツに味方して敗れ、第2次大戦では中立を宣言していたが、後に枢軸側についた。

1944年9月ソ連軍の侵入と共に、共産党を中心にパルチザン闘争が行われ、10月に休戦協定を結び、46年に人民投票によって王制を廃止し、人民共和国の樹立を宣言して社会主義国家樹立へ進むことになった。

ブルガリアは、革命政権樹立当時は圧倒的な農業国で、農業集団化を東欧では最も早く実施し、58年には100%の達成を果たした。

国営農場と協同組合農場を再統合し、農業生産の集中化、経営の大型化に成功した。1960年代からはソ連の協力、援助を受けて工業化、特に重工業成長優先政策を推進し、重化学工業化に力を入れた。

ブルガリアは、旧ソ連との最も緊密な同盟関係からコメコン圏内でもソ違と同一歩調をとってきたが、60年代後半から資本主義諸国との交流にも力を入れ、西欧諸国からの観光客の誘致、貿易の拡大に努力している。

1991年7月13目に新憲法が発布され、議会制民主主義共和国となり、従来のコメコン諸国依存の経済を西側に開かれた体制へと、大きく方向転換しつつある。

わが国とブルガリアとは、戦前1939年に相互に公使館を設置したが、44年にブルガリアに共産政権が出現し、同年わが国に対し外交関係の断絶を通告してきたため、両国の外交関係は途絶した。

戦後、1959年に国交を回復し、61年に貿易支払協定を締結、70年に通商航海条約を締結した。関税、輸出入制限、貨物の積取権などに関する事項については、72年に最恵国待遇を相互に供与して、両国間の貿易発展に努力している。

両国間の貿易は、90年に輸出入合計で8,890万ドルに達しているが、両国間の貿易インバランスが依然として問題となっており、ブルガリア産品の競争力強化が期待されている。

わが国の対ブルガリア輸出は、従来は重化学工業製品、工作機械など、ブルガリアからの輸入は食料品(ワインなど)、化学品、金属品などであり、1990年以降は両国





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