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年9年占領軍が撤退し、オーストリアは自国の独立を達成した。

1955年10月オーストリアは、(1)自らの意志により永世中立を宣言すること、(2)いかなる軍事同盟にも参加しないこと、(3)自国領土内に外国の軍事基地の設置を認めないこと、(4)国連憲章の諸原則を遵守すること、の4条項を骨子とした宣言を、憲法と同等の効力をもつ法律の形で国会で議決し、これを各国に通知し永世中立国となった。独立回復後のオーストリアは、中立国として国連を中心とする集団安全保障体制に進んで参加し、ウィーンに国際原子力機関(IAEA)、国連工業開発機関(UNIDO)、その他国連諸機関を誘致し、中立政策を推進してきた。

東西対立の冷戦下では、オーストリアは自国の独立を維持し東西の懸橋としての役割を果たしてきた。ある意味で、冷戦下オーストリアは経済的にも繁栄することができた。

しかし、旧ソ連の解体、東欧諸国の大変革がなされ、代わって民族主義の再燃、特にオーストリアにとって重要な旧ユーゴスラビアや旧チェコスロバキアの内戦など、政治・経済統合を目指すECに加盟を求めるオーストリアをとりまく環境の変化に、いかにオーストリアの永世中立は対応していくべきなのか。中立の意味に柔軟性のある解釈を求めるのか、中立そのものを変化させるのか。EC加盟を求める中立を国是とする他の欧州諸国と共になんらかの決断を迫られている。

わが国とオーストリアとの関係は古く、1869年に修好通商条約を締結している。日露戦争後は大使が交換され、第1次世界大戦で両国国交が断絶するまで、この外交関係は継続した。

第2次大戦後は、日本・オーストリア両国とも被占領国となったが、。サンフランシスコ平和条約後の1953年に、オーストリア占領の連合国理事会がオーストリアに対し、対日外交関係の復活を許可したので、同年の秋にわが国はビエンナ(ウィーン)に公使館を設立し、オーストリアも55年に東京へ公使を派遣した。

その後、両国は公使館を人使館に昇格した。

近年、議会、閣僚、首脳レベルでの交流が活発化し、両国友好関係が深まってきた。わが国との貿易関係では、戦後暫くの間は殆ど見るべきものがなかったが、1956年頃から漸く正常化し、1957年には輸出入それぞれ300万ドル程度になった。

その後、わが国の鉄鋼業界が、酸素吹き上げ式製鋼法の技術を導入してからは、オ





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