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 アルゼンチン政府は、近年工業化政策を積極的に推進しており、国内産業保護の観点から、一部舶用エンジンなどの輸入制限を実施している。
 これに対し、競争相手国は合併または提携による企業進出により、関連工業を通じて将来の輸出伸展の基盤を強化しつつある。
 わが国は、急激な円高により、これらの諸国と比べ低船価の魅力はないが、短納期、正確な納期とともに技術の優秀性は認められている。
 従って、これら競争相手国に対抗するためには、技術面でのPR活動が必要であり、それには漁業、船舶関連工業などへの進出を図って、将来の輸出拡大・発展への足場を構築することが必要である。

(C)歴史的、経済的なつながり

 アルゼンチン(リオ・デ・プラータ)は、1515年にスペインの探検隊(Juan Diaz de Solis)によって発見され、1534年にスペイン国王の命によりPedro de Mendozaがリオ・デ・プラータに派遣され、1536年にブエノスアイレス市を建設した。
 18世紀後半に至って、地域の発展に伴って欧州との交易が盛んになるにつれ、ブエノスアイレスの地位が重要視され、1776年にスペインの副王の統治下に置かれた。
 その後、アメリカ合衆国の独立、フランス革命、スペイン本国の弱体化など、海外の政情が大きく変化したため、アルゼンチンの独立気運が高まった。
 1810年 5月、ブエノスアイレス市民はスペイン副王を追放し、自治権を獲得して独立を宣言した。
 1816年に各地方の代表がトウクマン市に集合して、「リオ・デ・ラプラタ合衆国」として正式に独立宣言を行った。
 1826年に憲法を制定し、国名を「アルゼンチン共和国」とした。
 その後、中央集権制支持派と連邦制支持派との間で、激しい政争が繰り返されたが、1853年に連邦制憲法を制定して、連邦国家としての道を歩みはじめた。
 わが国とアルゼンチンとの関係では、1898年2月に外交関係を樹立した。
 わが国とアルゼンチンは、約3万人の日系人の存在もあり、伝統的に友好協力関係を維持している。

 

 

 

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