アルゼンチン(リオ・デ・プラータ)は、1515年にスペインの探検隊(Juan Diaz de Solis)によって発見され、1534年にスペイン国王の命によりPedro de Mendozaがリオ・デ・プラータに派遣され、1536年にブエノスアイレス市を建設した。
18世紀後半に至って、地域の発展に伴って欧州との交易が盛んになるにつれ、ブエノスアイレスの地位が重要視され、1776年にスペインの副王の統治下に置かれた。
その後、アメリカ合衆国の独立、フランス革命、スペイン本国の弱体化など、海外の政情が大きく変化したため、アルゼンチンの独立気運が高まった。
1810年 5月、ブエノスアイレス市民はスペイン副王を追放し、自治権を獲得して独立を宣言した。
1816年に各地方の代表がトウクマン市に集合して、「リオ・デ・ラプラタ合衆国」として正式に独立宣言を行った。
1826年に憲法を制定し、国名を「アルゼンチン共和国」とした。
その後、中央集権制支持派と連邦制支持派との間で、激しい政争が繰り返されたが、1853年に連邦制憲法を制定して、連邦国家としての道を歩みはじめた。
わが国とアルゼンチンとの関係では、1898年2月に外交関係を樹立した。
わが国とアルゼンチンは、約3万人の日系人の存在もあり、伝統的に友好協力関係を維持している。