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 ど全域にわたる海上交易に従事し、紀元前8世紀頃カルタゴは繁栄を極めた。
 しかし、ローマ帝国と地中海の覇権を争い、紀元前146年に演ぼされ、その支配に帰した。その後。ローマ帝国の衰退に伴い、6世紀には東ローマ帝国の支配下に置かれた。
 7世紀に入ってシリア、エジプトを征服したアラビア人は、698年にカルタゴを占領した。このため、ローマ文明の影響は薄れ、イスラム文明が支配することとなった。
 その後、幾多の興亡、変遷を経て、1574年にトルコの属領となったが、トルコの統治が不完全であったため、国内は混乱状態にあった。
 1881年にフランスは、イタリアのアフリカ進出の動きに対応するため、チュニジアに干渉し、バルトー条約を締結し、これにより、フランスは外交、軍事の諸権を得ることとなり、実質的にはチュニジアを保護領とした。
 第2次大戦の勃発に伴い、ドイツに占領されたが、やがて連合国により解放された。
 1952年以降、チュニジア民族主義者に対するフランスの弾圧が激しくなり、一方テロ活動も活発化し、国内に激しい反仏独立運動が展開された。1954年に両国間で内政自治を目標に交渉が開かれ、57年7月25日に独立して共和制を宣言した。
 1959年6月に憲法が制定され、チュニジア共和国は「アラビア語を公用語とし、回教を信奉する自由独立の主権を有する国家であり、国家元首は大統領である」と規定している。
 チュニジアは、穏健な社会主義路線をとっており、非同盟中立政策を外交の基調としている。
 旧宗主国フランスをはじめ西欧諸国との関係は良好で、特にフランスとは強力在相互依存関係にある。
 また、米国との関係は近年急激に緊密化している。
 近隣諸国との関係では、従来からアルジェリア、モロッコをはじめ近隣アラブ諸国との友好関係の保持を重視しており、アルジェリアとの間に友好和親条

 

 

 

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