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 新造船としてはボート類があるが、これらも契約条件は現金払いである。

(7)アラブ首長国連邦に対する歴史的、経済的なつながり

 アラブ首長国連邦の歴史は、既に紀元前3,000年頃に古代社会が存在していたことが確認されている。
 16世紀にアラビア湾岸は、ポルトガルが欧州との海上交通の拠点としていたが、フランス、オランダ、英国が相次いでアラビア湾に侵入し、ポルトガルの独占時代は終った。
 1766年にフランスとオランダは駆逐され、英国の力が支配的となった。しかし、この海域で英国船舶が海賊団から、しばしば襲撃を受けたため、1820年にこの沿岸の首長達は、航海の自由を認める協定を英国に結ばされた。1853年には、海賊的戦争行為を停止する海上休戦条約(Maritime Truce)を結んだ。以後この地域は、ドルーシャル・コースト(休戦海岸)と呼ばれるようになった。
 また、英国は1833〜44年の間に、各首長とこの地域一帯における奴隷貿易を廃止する条約を結ぶなどして徐々に勢力を伸ばした。
 19世紀末に至り、列強の進出が激化したのに対応して、英国は、1892年に、外交権限を英国に委ね、英国の同意なしに他国と外交や領土割譲を行わないこと、海賊行為を抑制することなどを含む「独占条約」を各首長と結び、これらの国を英国の保護の下においた。
 第2次大戦後、各地に植民地解放運動が活発化したため、英国はこの対応策として保護領の連邦化を企図し、ドルーシャル地域においても多数の首長国を連邦に統合することによって、首長国の社会・経済開発の促進に力を入れた。その結果、71年12月に漸くアラブ首長国連邦が誕生し、その独立が宣言された。
 現在、アラブ首長国連邦は、アブダビ(87年人口67万)、ドバイ(42万)、シャルジャ(27万)、ラス・アル・カイマ(12万)、アジマン(7万)、フジャイラ(6万)、ウム・アル・カイワイン(3万)の7つの首長国で構成され、国連、IMF(国際通貨基金)、ILO(国際労働機構)、UNESCO(ユネスコ)、世銀、OPEC

 

 

 

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