日本財団 図書館


 例え他人に罵られても反発出来ないから、相手も拍子抜けするでしょう、『耳の遠い人は長生きしますよ』と私に言われる人がありますが、たしかに聞かなくてもよい悪口や、乱暴な言葉や雑音は聞こえないから、失聴者は平和な時を感じているとも言えると思います。
 今は人工内耳で音はどんな音でも聞こえるようになりましたが、他の人との会話は、相手がこの人は人工内耳装着者だからと認識して、ゆっくり話して下されば、そして静かな場所であれば、大体了解出来ますが、電車の中とか駅の構内などでは声は聞けますが、意味は分かりません。雑音ばかりが声より先に聞こえて来るからです。もう少しリハビリを続けて、聞く、という事を何十年もの間怠っていた私の頭の中の聴神経が、はっきりと目覚めて、声を聞き分ける能力を生み出してくれるのを待たねばなりません。でもがっかりはしていません。必ず聞こえるようになると信じています。そして家族と一緒にテレビを見て落語や漫談を聞いて、一緒に笑えるようになって楽しい時間を過ごしたいと切望しています。耳が聞こえた頃は私もよく冗談を言って人を笑わせたり、冗談を聞いて大笑いしたりするのが好きでした。
 人工内耳の手術をする前は、私自身は怒鳴ってなんかいないつもりなのに、大きな声を出していたらしくて、私が話をすると電車やバスの他の乗客が、一斉に私の方を見るので、同行している娘達が恥ずかしがって、『お母さん、もう少し小さな声で話して下さい』とメモを渡されてよく注意を受けましたが、人工内耳を装着してからは、『以前のように大声を出さなくなった』とか、前は話が聞き取りにくいことがあったが、発音が良くなった』等と言われる事が時々あります。これも人工内耳の余得でしょうか、周囲の人々が眉をひそめる程の大声で怒鳴らなくなったのは、本当によかったと思います。
 全く音の無い世界に何十年もの間、生きて来て急に音のある世界に踏み込んだ時は、嬉しさと同時に、耳の聞こえていた時には何気なく聞き流していたであろう世の中の環境音の多さと煩わしさに驚きました。夜になって床に入る時は人工内耳を外しますが、静かな音の無い世間に戻るとほっとする時さえあります。それ程、音の無い生活が長かったわけです。これまでの長い間聞こえないために受けた屈辱感や、身にしみるような疎外感、敗北感と淋しさや心細さといったようなものを感じること無く、私に残された、例え僅かの時問でも(聞こえる日々)を持ってみたいという思いは切実でした。軽い難聴の人達が手話を交えて話を楽しんでおられると、何の話をしているのだろう、私のことを言っているのではないだろうか等と憶測ばかりして、いらいらして心が乱れた時もありました。そんな時には、聞こえないのだから諦めなければ…と自分に言い聞かせていました。人工内耳の手術を受けて本当によかったと思っています。
 さてテレビの字幕についてですが、NHKだけでなく民放にも、もっと字幕をつけて欲しいですね。全国的に『もっと字幕を!』という運動が展開されていますが、本当にもっと字幕をつけて欲しいです。字幕が付けば、難聴者も失聴者もその番組を見て、CMを見て、その会社の製品を買う気を起こすだろうし、字幕をつける費用を惜しまないで、どんどん字幕をつけて欲しいですね。
 私は今までずっと健康でしたが、気をつけている事といえば、食事は脂っこいものは避けて腹八分目を守っています。週に3回は卓球で汗を流しています。卓球の仲問は健聴者ばかりですが、皆さん難聴の私をよく理解して筆談をして下さいます。人工内耳は湿気や汗で濡れると傷みやすいので、運動をする時は外しますから、その間は何も聞こえませんが、卓球の友人たちは、私を馬鹿にする事はありませんので卓球をしている間は中失者である事も忘れてとても楽しいです。音楽はまだよく聞こえませんが、本は読めるし、色々と楽しみを見つけ、美術館に絵を見に行く事も多いです。失ったものを悔やんでも仕方がないので、自分に残された体力と能力を、フルに生かして、今後の余生を全うしたいと念願しております。

田島/ありがとうございました。77歳で卓球する姿がどういうものかとすごく羨ましい。素晴ら

 

 

 

前ページ  目次  次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION