これは同期7人が自由勝手な話をして食事を共にするというだけのことですが、難聴者として、話題の内容が分からないので話の輪にうまく乗れない事が多く、うまく話に乗ったと思っても話題の方向は既に違ったものに変わっているという状態でしばしば恥ずかしい思いをしますね。この仲間に難聴者がもう一人いれば随分様子は変わるでしょう。ですから、この様な特殊な場合を除いて地域の催しの参加等の場合は、筆記通訳や筆談等私達に必要とするコミ手段は手配することなく、残存聴力をうまく活用するという配慮をするのみです。やはりその場での孤立は避けられませんですね。
(4)情報の入手について
今の社会は情報化社会ですから、情報入手に遅れた者は取り残される事になります。しかし反面情報の洪水ともいえる多種多様の情報が入り乱れており、情報に振り回されることがあるのも事実でしょう。高齢者、難聴者としては、真に自分に必要な情報は何か、それはどこから得るか、そしてうまく整理が出来るかという条件が揃っていることが必要で、私は今のところ新聞、テレビ、刊行物などから取り入れる程度で、情報産業のデーターべ一スから引き出すような手段は、パソコンの未使用もあるので実行しておりません。ただ手段的に似た方法としてFネットデーターから取り出す方法があります。ですがこれからの余生やインターネットのアクセス等考えるとこのような情報社会に踏み込み、取り組んでみたい欲望がないこともありません。それがQOLの一端かという気も致します。
(5)難聴者組織に取り組んできて思うこと。
前述の通り、過去8年間を難聴者の組織結成育成と組織内活動に精力を注いで来ました。難聴者はこれまで取り残されてきた障害者であり、障害の実態を社会に知ってもらい、完全な社会参加と平等を得ようという、目的と理念はよく心得て行動して来た積もりですが、そのほかに自身の信念として「余生を過ごすためカルチャーに精を出し、老人大学に進めば少なくとも月に数万円の出費が必要であろう、それを同障者のための社会活動を
すればそれだけ、恩恵を受けた社会に対する還元だ」という考え方をもって当たって来ました。
昭和63年に姫路に「姫路難聴者の会」を結成して県協会に加盟しましたが、当時加盟の地域協会は3地域だけだったのを、会長と共に結成育成に努力して現在19の地域協会を誕生させて今日に至っており、これからは後継者へとバトンタッチをし、違った立場から育成協力をして組織を発展させたい念願を持っています。これが私自身のQOLと考えて体験談をおわらせていただきます。
田島/ありがとうございました。あっという間に12時になってしまいました。それでね、ちょっと予定を変更しまして、午後に近藤さんと山口さんに続けて体験発表していただいてその後、ちょっと尾上さんを含めたお3人の方について、質問を一、二お受けして、それで本格的なパネルに入るということで、そういう形にしたいと思います。
ただ今から午後1時までお昼ご飯のお休みに入ります。午後も帰らずに必ず来て下さいよ。それから12時45分から追加のプログラムが予定されているようです。司会者の方からそのことだけよろしくお願いします。
川野/途中ですが時間になりましたので、ここで昼食休憩に入りたいと思います。午後の部もよろしくお願いいたします。
西井/それでは昼食のご案内をいたします。
お手元のお弁当券と引換えに、受付でお弁当をお受け取り下さい。お弁当はこの会場の前半の平面座席の皆様はそのお席でお召し上がり下さいま