痺してしまいました。しかし、彼女は海に潜る事が非常に好きなんです。海に潜るためには、ジャンプしなければならないんですが、ジャンプする力はありませんから、入る時には助けてもらわなくちゃいけないんですが、いったん海に入りますと、彼女の世界でありまして、私が全然できないような事を、平気でやるわけです。
それだけでしたら、よくご存じの話でしようが、実は、私のもう一人の長いことつきあっている脳性麻痒の方で電動車椅子に乗っておられる男性があります。その彼が私の所へ来まして、「先生、わしも水に潜りたいんや」と言います。彼はもちろん全然立てませんし、歩けません。「無理やで」と何度もお話したんです。私は昔、須磨の海岸に、脳性麻痒の人達を連れて、一緒に水泳をやったことがあるのですが、身体に不随意の運動がありますために、海の中でものすごくアンバランスになってコントロールガできず、私自身も命を失いかけた事があります。
そういう苦い経験があるものですから、「ちょっと無理やで」と話し同時に、彼女に紹介しました。そしたら彼女は、「先生、そんなものやってみな、わからんやないですか」「じゃあ、やってみようか」という話で、あくる日の日曜日でしたか、行きまして、そしてアクアラングを着せまして、海に見事に潜ることができました。上がって来た時の嬉しそうな顔ってものは、本当に素晴らしかったです。
本当にそういう意味で、あきらめずに挑戦ということの重要性、失敗を恐れない気持ちが大切です。私の父親が足を切断しておりましたのが整形外科医になった動機ですが、私が父から教わったことは、「身体が不自由を理由にするな」これでした。
彼女は15歳の時に、交通事故で頸椎の5番目の骨を折りましたために、手指は動く状態で、足は完全に麻庫しました。もちろん小便も自分ではできませんし、全く寝たきりの状態で、入院して懸命に訓練を続け2年ぐらいしましたら、何とか車椅子に乗れるようになり、何とか車の免許を取ることができるようになりました。その彼女から教わったことはこうです。
彼女は自分で自分の人生を考えたわけです。「私はこのままだと、どこかの施設に行って生活しなければいかん」と。自分で風呂入れませんしね。トイレに行く時も、やはりちょっと介助が必要なんです。しかし、彼女は頑張りました。そして、住宅の外へ出て行くために、玄関の所に油圧制御による段差解消器を作りまして、玄関から出やすくして車に乗らなくちゃいけないのですが、車椅子からこっちに乗り移るのに大変なんです。これやるのに、半年くらいの訓練がいりました。彼女はもちろん手の力がありませんから、ハンドルは握れない。握れないからハンドルにグリッブに麻癖した手を固定するものを作りまして、そこに手を結わえつけて、ハンドルを回すわけです。彼女は今、この車で通勤して特別養護老人ホームに勤めております。特別養護老人ホームに着き、車椅子に乗りますともう彼女の世界です。ケアワーカーとして、お年寄りのお世話をしているわけです。食事も、今まで私共の病院に入院した時、自分で食事ができなかった彼女が今は、お年寄りに食事を食べさせる事をやっているわけです。こういうふうに、障害を持っていても、自分で自分の人生を決めていく、できたら人の役に立つような人生を送りたい。これは素晴らしい考え方だと思います。
以前の考えですと、彼女の場合はおそらく施設送りになってたでしょう。しかし、彼女は家族の、それからその施設の、地域の人達の温かい協力によって、彼女は一人の人間として生き返り、彼女が他の介助を要する人達に、ヘルプできるようになった。
このように、身体の不自由な人達は、主体性をいかし失敗をおそれず挑戦する気持ちががなかったらいけないと思っています。
同じ頚椎損傷の定藤先生は、自立ということを、自分の生活のあり方を自ら決定していく、それから、自ら望む生活目標や生活様式を決定して生きる事、それから、生活の質を高める事、それから、自分の能カを超える問題に面した時に、遠慮なく人に援助を頼むという事、その努力が大変重要で