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強く要望します。
 ご静聴ありがとうございました。
西脇/ありがとうございました。
 非常に具体的な問題がいくつか提起されたと思います。これから皆さん方の、また我々を含めて大きな課題であろうというふうに思います。
 それでは最後に同じようにこの地域、宝塚を中心にして自分も被災をしながら救援活動をなさった萱原さんを紹介いたします。
 萱原さんは宝塚市に住んでいらっしゃいまして、兵庫県難聴者福祉協会の会員です。
 20年前に原因不明のまま両側性突発性難聴で両方の耳が不自由なんですね、右が完全な失聴で左の方が少し聞こえる、補聴器をつければ何とか聞こえるという程度だそうです。
 小学生時代にピアノを弾いてらしゃったそうで、今でもその音を懐かしんでいらっしゃる、そういうような事をお聞きしました。
 今でも演歌をよく口ずさんでいらっしゃるそうです。
 聴力障害の方で音楽を楽しむ方はなかなか少ないですね、完全失聴だったら、先天性失聴の方でしたら、まずリズムとかメロデイーというものが認識できないんですけれども、萱原さんの場合は幸い20才まで耳が聞こえていらっしゃったので、そういう事が可能だと思います。
 今は小中学生のための学習塾の先生をしていらっしゃいます。
 麗災時、本当に宝塚もひどかったんです。それにもかかわらず、自分よりも、より被害の大きな人のために良い働きをなさいました、そういう経験をお話しして頂きたいと思います。

萱原/平成7年1月17日午前5時46分、震度7、死者不明者6,300名以上の大震災が起こりました。震災直後から(社)全難聴震災現地対策本部を設置。現地対策本部長(兵庫県難聴者福祉協会会長)の指揮のもと大勢の同障者やボランテイアの協力を得ながら約50日間難聴者等への緊急支援活動を行いました。
1 震災発生当時は、宝塚市内の交通信号は点灯せず、ビルや家屋の倒壊、道路の陥没、ライフラインの途絶(停電は数時間後、水は3日〜2ケ月間断水、ガスに至っては最長4ケ月間の途絶)や電話やFAXの使用不能が最長2ヵ月に及び、(公衆の電話やFAXは別途使用出来た)多数の難聴者や高齢者が被災し、避難所生活を余儀なくされ、翌日以降宝塚中途難聴者の会員の安否確認と状況を把握する為に、市内を回りました。避難所にいる難聴者や被災者にとつて給水焚き出し等の情報がマイクのみで、困っている状況を打開し、聞こえの保障を確保し、援助をスムーズに受けられるよう全日本難聴者・中途失聴者団体連合会を中心として支援活動を展開することになった。1月25日、宝塚市総合福祉センターに全難聴現地対策本部が設置され、要約筆記サークルの協力を得て、壊滅的打撃を受けた神戸市、芦屋市、西宮市、宝塚市の避難所を中心に安否確認等を開始し、又同時に文字情報の拡充をメデイア各社に要請し、また全国各地の同障者や近隣の各難聴者協会、要約筆記サークルから或いは企業等から救援物資や補聴器、FAX機器、その他の物品等が対策本部に寄せられた。
 第一次から第三次に至る支援活動を近畿各地の同障者団体やボランテイアの協力を得て実施した。当初は各交通機関が至る所で寸断し、交通機関の迂回等によっ普段短時間で行けるところを3〜4時間もかかり、車両は極度の渋滞で使えないので全て徒歩でチームを組んでの避難所巡りでありました。2月に入り、各地の避難所に対しては兵庫県リハビリセンターを中心とする医療チームによる巡回支援活動のご協力を得て、体の弱い高齢者や病人などの聞こえの保障を措置してきました。
2 支援活動中に様々な出来事や注文、相談や依頼等が寄せられました。
(1)「NHKTVで見た。父が昨夜突然耳が聞こえないと言いだした。芦屋、束灘区内で耳鼻科はないか」(芦屋市)

 

 

 

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