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方、そして助けて下さるボランテイアの皆様に厚くお礼申し上げます。ありがとうございます。拙い話をお聞き下さってありがとうございました。

西脇/ありがとうございました。
 北村さんのお話で私思ったのは、自分が障害を持っていて避難所で、仮設住宅でいろいろな困難な生活、不安な生活を送られた、その事を今の、高齢化社会の方に目を向けて、多分自分達の障害だけでなくってお年寄りも含めて、みんなで行政に訴えていく事が大事だとおっしゃったんだけれども、本当に全くもうその通りだと思いますね。今僕はその事が一番大事な事じゃないかと思うんです。
 障害者は、ともすれば難聴は難聴者だけ、肢体不自由の人は肢体不自由の人、それぞれで運動する事も勿論大事ですけれども、もっと視野を広くして、生活に困っているんだという事で一致をして、皆さんが仲間に働きかけ、行政に働きかけていくという事が大事じゃないかなということを感じました。ありがとうございました。
 それでは今度は被災をしながらも地域で救援の活動をなさったお二人の方にお話をうかがいます。
 まず坂川正昭さんです。坂川さんは淡路島のお生まれです。
 三原郡の南淡町に住んでいらっしゃいます。
 兵庫県難聴者福祉協会のメンバーです。
 坂川さんは3歳の時に麻疹にかかって3日間40度近い高熱が出て、その治療のためにストレプトマイシンを使ってその結果難聴になったという、多分皆さんの中にもストマイの薬害の方、たくさんいらっしゃると思うんですけれども、そのお一人です。
 さっきお話しましたら、坂川さんは聴力と引き替えに命が助かったんだというふうにおっしゃってまして、なるほどそういう考え方もあるのかというふうに思いました。淡路の南部とは言いましても、震源地にかなり近いんです。もうあんな地震は二度とごめんだというふうに、さっきもおっしゃってました。
 俗に、恐いものとして地震、雷、火事、親父と言いますね。この頃親父の権威は飾りとしてさっぱりですけれども、地震が一番恐いそうです。
 そういう思いを持って救援活動をなさった坂川さんに、経験をお話を頂こうと恩います。よろしくおねがいします。

坂川/救援活動を振り返って(淡路地域)
 あの大震災から1年10ヵ月余り、淡路では現在も仮設住宅にお住まいの会員が2名、居住が危険な状態にもかかわらず自宅にお住まいの方が2,3名。又地震のショックで心臓を悪くされた方もおられ、今なお厳しい現実が続いています。全国の皆様から温かいお見舞いを沢山頂きまして淡路の難聴者も大いに慰められ勇気づけられました。この場をおかりして厚くお礼申し上げます。
 さて地震発生当日の朝、周囲のただならぬ異常に気付いて目が醒めたと思う間もなく、上下に二度の大振動と強烈な横揺れに見舞われました。幸い停電には至らず、テレビで「震源地は淡路の模様」と知った時は半信半疑でした。私の場合、淡路の南部で壁にひび割れ程度の一部損壊で済みましたので、平常通り出勤しました。勤務先のテレビ報道で圧死者の数が増え続けててることに大変な不安を感じておりました。淡路の会員は無事なのか、阪神地区の会員はどうしているのか、何よりも自分の目で確認する必要があると思いました。と同時に私が淡路の難聴者協会の代表でしたので、非常時の重大さに押しづぶされそうになりながらも、何とかしなければと焦りを感じておりました。二日後、勤務終了後に1敷甚被災地の一宮町群家近くまで車で飛ばして行きましたが、道路は渋滞し、夜間のため周囲はよく分からず、傾いたままの家が見えてきましたので危険を感じて引き返しました。結局四日後の土曜日にやっと日中に淡路北部へ車で被災状況を見て回りました。一要約筆記会員が住む北淡町富島の商店街では鉄骨へ一ベルとか、鉄筋コンクリートの建物以外の旧い木造の家はほとんど壊滅状態でした。その富島では日頃から隣近所の付き合いがありましたので行方不明の方が何処に埋まっているとか、ほぼ見当がつきましてその日の明るいうちに圧死者も含めて全ての

 

 

 

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