は毎日数時間くらいしか寝ていなかったのです。3日目位になりますと、顔付きが悪くなります。目が吊り上がって顔が引きつっています。「マンファ、行ってくれ」とすごい顔付きで言ったのです。マンファは「アキは怒っている、アキは私のことを嫌いだ、私に意地悪をする」と言います。「違う、違う、違う、…マンファ、貴女が行ってくれ」と。マンファは行くと言ったのですが、でも実際は後で知ったのですが行っていなかったのです。私は失望しました。私はバンコクにアジア・太平洋国連本部があるのでよく行きます。マンファに会おうと思って電話をしたら会ってくれないのです。2年間会ってくれないのです。「アキは私のことを嫌いだ」と言うのです。嫌いではないのです。私はマンファのことを本当に尊敬していたのです。でも顔付きが悪かったのです。言葉はやさしい言葉で手話通訳者が訳しているけれども、マンファは私の顔を見て私の言ってることを理解せず誤解したのです。私は2年間かかりました、マンファとの仲を取り戻すのに。それ以来私は笑う練習をしています。これをしないとまた誤解されるかと思って、本当に私の失敗を今でも悔いております。
考えますと私達はコミュニケーションする時でも、もっともっと耳の不自由な人達と私達がよいコミュニケーションする研究をしなければいけない、私は失敗をしながら学んでいます。
今度の震災で被災された聴覚障害の方々は、大変なストレスを持っているということが分かって来ました。ですから本当に市民の皆さんに協力を願いたいのは、そういう方々が地域に仮設住宅から来られたら、お食事に呼ぶなり、お友達になってほしい、これを市民のレベルでして行かなければいけないのです。私もいつか耳が不自由になるかも知れない、それは私の間題である、そういうことで私達はまちづくりをして行くこと、そしてふれあいの仲間づくりをして行くことがこれからの私達の新しいまちづくりなのです。もしこれが出来るようになれば、阪神地区が一番高齢者にやさしいまちになる筈なのです。
私達は辛い思いを震災でしましたけれども、日本には「雨が降って地が固まる」ということわざがありますように、震災があったけれども市民が助け合って行くならば、日本で一番やさしい、お互いに支え合う、助けあうまちづくりが出来る筈です。それは私達一人一人市民として隣の人とお友達になる、理解し合うということをして行きたいと思います。それが高齢期における聞こえの保障と健康の一番大きな点だと思います。
時間になりましたので私の話を終わらせて頂きます。ボランティアの方々、私の話が速かった気がしますが、どうもありがとうございました。手話通訳の方には横文字を使わない努力をしたのですけれども多くてすみませんでした。ありがとうございました。これで私の話を終わらせて頂きます。ありがとうございました。
西井/ありがとうございました。高齢者、障害者が安心して住めるまちづくりについて大変意義のあるお話でした。どうもありがとうございました。
それでは只今から、15時まで10分間休憩いたします。15時よりパネルデイスカッションと体験発表を行います。時間にはお席にお戻り下さるようお願いいたします。