に呼んでくれない、どうすればいいのか分からない、ですから私達市民のレベルでやはりお互いに新しいまちづくりの文化をつくる、これが六番目の新しいまちづくりです。
今度の震災は非常に大きな被害を受けましたし、不幸なことでした。私も被害を受けましたけれども、もし私達市民があの震災直後助け合ったようなスピリットをずっと持ち続けて、仮設住宅から新しい公営住宅、あるいは他の住宅に移って来た方を家にお食事に呼ぶ、あるいはお手伝いをする、いろんな形でお友達になって行くことが、高齢化社会の中における私達市民の健康と生活の保障の墓本になって行くのだと思います。
今日本では聴覚障害の方が600万人いる、これは正しいのです。日本では聴カレベルが両耳で70デシベルの人を聴覚障害といっています。この方々が今37万人ですけれども、カナダもヨーロッパももっともっとデシベルの単位が違って、難聴の人も障害を持っているとして認めていますので、欧米並に計算すると600万人という数字がついていますけれども、これから高齢化社会が進みますと600万人よりもっと多くの人が耳が不自由になってまいります。ですからこの聞こえの保障というのは一部の人の間題ではなく、私達日本国民全部の聞こえの保障というようにとらえなければならないと思います。このコミュニケーションの保障ということでいろいろ考えるのですが、今補聴器を使っている方が約80%、筆談活用者が約14%、口話ができる人が約0.4%、手話ができる人が約5%、こういう数字を見ていきますと、私達は全ての人が分かるというコミュニケーションシステム、これを私達は、日本語がないのですけれども、ユニバーサルスタンダードという言葉を使っています。この言葉を覚えて下さい。これは全ての人が安心して住めるまちづくりの条件なのです。全ての人がいつかは耳が遠くなる、いつかは足腰が弱くなる、ですから一番重度の障害を持っている方を標準としてまちづくりをすると、全ての人が住めるまちとなります。これをユニバーサルスタンダードといいます。その中で特に聞こえの保障ということを基本的人権として入れていかなければならないと思います。
北米の障害者自立生活運動に基本的な理念となったものに、消費者の権利というものがあります。私達は物の消費者であるだけではなく、行政サービスの消費者でもあるし、福祉や医療のサービスの消費者でもあるのです。
消費者として四つの権利が保障されているわけです。一つは情報公開の権利です。
私達は私達の生活に関する、行政であろうと民間であろうと、情報を知る権利がある。病院へ行ってなんの病気なのか知る権利がある、治療を受ける時にもどういう治療方法があるのか知る権利がある。
例えば今度の震災のことでいいますと、災害に関するニュースを知る権利がある、ですから私達は例えばテレビでは必ず文字放送を入れてもらう、あるいは電光板で伝言をしてもらう、今の日本の技術では電光板を作るのはそれほど大変なことではないのです。避難所でも電光板をつけることは簡単にできる筈です。新幹線に乗りますと、ニュースが時々流れます。あれは神戸にある会社が作るのですが、難しくないのです。そういうものの大きいものをいつも置いておけばいいのです。電光板でも文字は読めるのです。
そういう情報を知る権利です。二番目には安全であるべき権利、私達が使っている普段の薬だとか食料品に危険な物が入っていないかどうかというようなことがありますが、安全であることに関しては防災のマニュアルをつくって行くべきだと思います。特に耳の不自由な方々の緊急時のマニュアルづくり、情報を提供する情報ネットワークというものマニュアルづくりです。その中には避難所に電光板を置くとか、いろいろなことがあります。
アメリカ、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド等では、公衆電話にタイブライターで話ができる電話機がずいぶんついてまいりました。耳の不自由な人達は言葉で出来ない代わりにタイプライターで文字盤を打ちますと、交換手がそれを読んで音声に変えて相手に伝えるのです。音声で話をしてきたら、これは24時間、365日で