
「影響は軽微であり…」 「…の対策を講じるので影響は小さい」 というほぼ統一された表現(?)によって結論付けられることである。改めて論じるまでもなく、環境アセスメントの取りまとめでは、常に同じ結論を導くために努力(・・種の対応策)が行われているのも事実である。すなわち、望ましい第一の結論は「特別の努力(対策)をしなくても開発事業は環境への影響がない」とすることであり、第二の結論は「環境保全対策をするので環境への影響がない」とすることである。埋立・干拓などを例に考えてみれば、事業の対象が対象だけに、基本的に第一の結論を導くことが開発サイドからは必須となっている。そのために事業計画を縮小したり、予定地を変更することも行われている。第二の結論を引き出す努力については多くの事例がある。ある種の対応策をすることによって環境への影響を軽減させることが、実はミティゲーションの一部でもある。 昭和50年代前半までであれば、投資額が幾らかで開発によって収益が幾らあるという経済的な側面からの費用効果分析等によって、開発事業は決定・推進されていた。ディベロッパーは、「これだけの経済効果があるから生物的資源(?)が少々失われることはし方がない」的な説明に終始していたとも言える。緑化を始めとする経費を要する環境面での配慮は、反対者地元への不経済なサービスの一種であったのかもしれない。 しかし、昭和50年代以降の環境保全に対する諸外国の動きは、開発至上主義的な傾向の強かったわが国にも影響を及ぼしてきている。損失する自然干潟の代替として隣接地に人工干潟の造成を行ったり、道路工事で住処が分断される狸などのためのトンネルを設けたり、工事区域に自生していたウスバサイシン、ミヤマアオイの種(ギフチョウ、ヒメギフチョウの食草)を工事区域外へ移植した事例もある。これら環境関連の工事は、開発によって何らかの影響を受けたり、失われる自然環境、動植物、生態系に対する保護、保全策であり、実質的な代償措置=ミティゲーションでもある。さらに、影響が予測される場合には、電波障害に対して電波吸収材や共同アンテナ等の設置緑の回復。植栽貴重な文化財の移転保存などの措置をとることも現在では定着している。これもミティゲーションに相当している。 意識するかどうかは別にして、ミティゲーションの考え方、手法は、個別にわが国の開発事業においても既に導入されている。したがって、現在一部で騒がれているような、環境アセスメントにミティゲーションを導入することの是非を論じることよりも、環境躰法レベルでミティゲーションの概念をはっきりと記載することが重要であった。その上位概念(基本原則)を踏まえての個別的対応があってこそ、ミティゲーションが生かされる。
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