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 興味深いのは、この問いに対して、ドイツでも日本でもほとんど同じ解答、すなわち「ノーマルな国家でありたい」という答が登場しているという点である。つまり、これまではそうではなかった、というわけである。確かに、これまでのドイツについて見れば、ノーマルな国家ではなかったことの理由を挙げるのは比較的容易なことだった。(国家分断、ベルリン問題、制限付きの主権など。)しかし、日本についてその理由を見出すのはずっと困難である。こうした日本の状況を見ると、そもそも東西対立終焉の後に日本の国益に変更が生じたのか、もしそうなら、それは何なのか、またその理由は何なのか、と問わずにはいられない。政治に関する文献ではしばしば「日本の経済力は誰の目にも明らかなのだから、それに応じた政治力も備えるべきだ」との主張を目にするが、たしかにこれは説得力を持っており、また容易に正当化できるものであるものの、それならば「このような営為(新たな役割規定、ノーマルな国家を目指す努力など)が冷戦終結後に初めて持ち出され始めたのは何故なのか」という問いも許されてしかるべきだろう。この問いに対する答の一部は、最近の日本の内政の変化に求められると、私は思う。政治改革をめぐる議論、自民党の38年に及ぶ単独支配の終焉、政党の勢力分布図を一新しようとする試みなどが、こうした議論に少なからぬ影響を与えているのは明らかである。

 或る国が多国間の枠組みの中で果たす役割というものは、その国の国益と無関係に規定することはできない。また他方、国益にも国内向けの要素とともに対外的要素も含まれている。国内的要素の中には、どんな国家でも持っている自己理解に含まれるあらゆる観点が含まれている。つまり、国民が平和と自由の裡に自己を展開・実現できるよう、物質的・精神的基盤が創造・維持されなくてはならないというわけである。しかし私たちにとってこの文脈においてずっと重要だと思われるのは、国益の中の対外的要素の方なのだ。
 ドイツと日本に関して言うならば、それは、どの国益が規定され得るのか、また、そこからどのような役割が両国にとって浮かび上がるのか、という問いである。独日両国がそれぞれ特定の多国間の枠組みに組み込まれているという事実−−厳密に言えば、北朝鮮やキューバのような極端な例を除けばあらゆる国は特定の国家間枠組みに組み込まれているわけであるが−−は、両国が、少なくとも国益の一部はこの枠組みによって維持されていると考えていることを表している。このことは、防衛に関する利害に最もはっきりと見ることができる。たとえばドイツはNATOの一員だが、それはこの枠組みがドイツの領土的・国家的存続を保証するするものだからである。ドイツはまたたとえばEUの加盟国であることによって政治的・経済的に生き残る能力を確保している。同じことは日本についても当てはまる。最近改めて更新され、或る意味では新たに規定され直されもした日米安保条約は、安全と防衛力を保証するという日本の重要な国益に依然として適うものでもある。あらゆる同盟や国際組織への加盟といった多国間の枠組みというものは、個々の国の国益を統合し、維持する上で役立つものなのである。

 

 

 

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