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の希望はまだ消えていないことを示す重要なシグナルであった。
 第2回目の民主主義的国会選挙は、社会政策に対する考え方の変化が広範な国民層で見られたことを示した。共産党が国会第1党となり、ロシアの民主主義の未来は再び疑問視されるようになってしまった。選挙が民主派を失望させる結果となったことの最大の理由の一つは、改革を目指す勢力であるガイダルとヤヴリンスキーに選挙協力を組む能力がなかったことである。この選挙結果は、ラジカル民主派の大部分が民主化初期の時代に政治的終焉を迎えたことを反映している。
 ロシア外交においてもまた、新たな重点が見えてきた。「近隣の外国」という言葉が使われ始めた。独立国家共同体の幾つかの主権国家(例えばウクライナ、エストニア、ラトヴィアなど)は、かなりのロシア人少数派を抱えている。ロシア指導部は突然、ロシア人少数派の「緊急支援」を目的とする新たな介入権を主張し始めた。こうした主張は、いわゆるブレジネフ・ドクトリン、つまりソ連の近隣国家の主権は制限されるとする考えを思い起こさせる。その結果、数十年前にハンガリーやチェコスロヴァキアヘの侵攻が行われたのであった。
 NATOの東方拡大問題は政治問題となり、我々は引き統きこの問題と取り組んで行くことになろう。ロシアの政治指導部はNATOの東方拡大問題では、一方で徹底的な拒否と、他方で避けて通れないように思える状況から自国にとって最良の結果を引き出そうとする、政治的な駆け引きとの間を揺れ動いている。1996年の2月以来、ロシアは欧州評議会の一員であり、従ってヨーロッパ民主主義のメンバーの1人である。ロシア受け入れが正当であったか否か、今後の動きが応えを出してくれるだろう。

 懐疑的な見方を促すような前述の動きが見られた後、現在、ロシアの民主主義的発展は再び安定したように見受けられる。
 ロシアでは、憲法に則った国会選挙、大統領選挙が数カ月の内に、何の問題もなく実施された。1995年11月の国会選挙の際には共産党がロシア国会で最大の政治勢力となったが、1996年7月の大統領選挙では歴史的な敗北を喫した。
 第1回投票では、エリツィン大統領と共産党の対立侯補ジュガノフ氏はまだ競り合っていた(投票率35%対33%)。しかし、第2回投票ではエリツィン大統領が対立侯補に対し得票率を大きく上回ることができた(53.8%対40.3%)。
 この選挙はロシアの選挙民が今後の方向性を決定したことを意味し、民主的な侯補者を大差で選出したことにより、共産主義にはっきりと、かつ、多くのロシア人の見方では最終的にノーを表明したのである。
 エリツィンの勝利は、第1回投票で14.7%を獲得して第3位となったアレクサンダー、・レベジ将軍と同、盟を結ぶことによってのみもたらされた。
 エリツィンに支持を与える代わりにレベジ将軍は、チェチェンでの戦争の主たる責任者グラチョフ国防大臣及び安全保障担当の側近コルジャコフを解任させた。

 

 

 

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