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はあっても、ある国の条件が賃金であれ、労務副費(社会保険料の雇用者負担分など)であれ、インフラであれ公的助成金であれ、魅力がないとなれば、世界中どこにでも拠点を移すことができるようになった。ポール・ケネディーはこの状況を彼の著書『21世紀への準備』の中で、極めて分かりやすくこう書いている。「資本は合理的な論理を持っており、利潤を得られる場所へ移ってゆく。資本はどこでどう投資するか論理的な決定をするだろう。……こうした市場の論理に背を向ける政府と社会は罰せられる」と。
 もちろん全ての国の国民経済は、こうして変化してしまった枠組み条件に同じように適応してゆかねばならない。しかしドイツは、まさにドイツの東西両地域の経済調整が終了していない時点で、また政治的統一を経済的な側面から下支えしようとするための新連邦州(旧東独)での資金需要が依然として大きい時点で、この変化に晒されることとなった。
 私に与えられたテーマは「21世紀におけるドイツの経済的、社会的課題」であるが、非常に広範なテーマであり、短い時間に重要な点を全て詳細に語り尽くすことはほぼ不可能である。そこで、我々が現在、またこれからの数年に対峙する経済、社会条件に関する基本的な考え方を示すに留めることで、ご了解いただきたい。ここで、国内の議論のみならず、ドイツ以外でも重要である3っの観点を中心に話を進めたい。すなわち、(1)新連邦州の経済体制の移行を例にしたドイツ経済の空洞化の克服、(2)グローバル化への欧州の回答の試みとしての経済及び経済政策の統合、そして(3)失業問題解決の試みと関連した福祉国家の再編、の3点である。


I. 新連邦州における経済体制の移行と産業空洞化

 ドイツはその経済政策、社会政策の分野での「発明」である社会的市場経済に常にとりわけ大きな誇りを持ってきた。キリスト教民主同盟(CDU)は戦後初の連邦議会選挙において、経済分野における調整問題を「できるだけ市場に任せ、国の介入は必要最小限に」という原則で行い、(中央統制とは逆の)分散型で解決することを主張した。社会的市場経済という秩序モデルが戦後ヨーロッパ文化圏で普及した最大の理由は、自己責任の原則と人間同士の連帯という原則とを結び付けたことにある。その結呆、同時に人間的な経済風土、総合的な社会保障システム、そして社会的公正(均衡)といったものの基盤が築かれたのだった。
 社会的市場経済のおかげでドイツが世界でも経済的に最も成果が上がり、そして社会的にも最も安定した国の一つとなり得たことは疑いない。社会的市場経済を援用したことで、ドイツ連邦共和国では全ての市民の生活水準が急激に上昇し、失業問題は解決して、なんと99.2%という高い雇用率を達成しえたのだった。この数字はその後二度と破られていない。
 東ドイツが1989年の民主主義的な大転機を迎えたとき、西ドイツの経済システムを導

 

 

 

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