日本財団 図書館



艦隊を迎えた呉海軍鎮守府の施設一特に明治中期に造られた煉瓦造建築が甚大な被害を受けたことがあり、この経験が耐震設計に対する海軍の認識の高さに繋がった気がするのである。


(3)結語

 今回の日本ナショナル・トラストの舞鶴の煉瓦造建築群の調査の際、海上自術隊のご厚意により思いがけず旧舞鶴機関学校の鉄骨建築を視察させて頂くことができた。幸いなことに米軍進駐時の工事に際して、庁舎の天井の一部が配管工事が撤去されていたため、内部の鉄骨の状況を観察することができ、
1)この建物は汲川氏の随想の中の詳細図通りの鉄骨構造であること。
2)更に重要な点は関東大震災直後に真島健三郎博士が提唱した「柔構造」理論の一連の論文にあるモデル建物と舞鶴機関学校の校舎とはほぼ同じであること。
がほぼ確認できた。燥り返しになるが、
?当建物は柔構造理論を提唱した海軍建築局長真島健三郎博士が、ワシントン条約によって建造中止となった八八艦隊の戦艦用鋼材を用いて設計建設したものであること。
?設計は真島博士の「柔構造」理論で設計されたこと。
?建物の細部には博士が柔構造理論を案現するために開発した単一架構の連結架構や、激震時に入力エネルギーを吸収するためのスブリングブラケットなど構想だけであったと椎定されていた斬新な耐震システムが完全な形で現存していること。
などが明らかとなった。
 以上要するに、舞鶴機関学校は現在の超高層建築の設計の基礎である動的耐震理論に基づいて実際に設計された世界で最初の建築の可能性が強い。それは米国に先駆けること約30年という早い時期既に完成したもので、当時の日本帝国海軍の建築技術力は世界の耐震工学の水準を遥かに凌いでいたことを明確に示している。この意味で機関学校の建物は構造技術史上、耐震工学史上極めて大きな学術的価値を有していると思われる。今後の詳細な学術調査を望みたい。
                               以上


 参考文献
 1)村松貞二郎
 『日本近代建築の歴史』p100
  NHKブックス300(昭和55年)
 2)大川雄二
 『目本建築構造基準変邊史』
  日本建築センター(1993)
 3)江鷹静児
 『鐵筋混凝土にかけた生涯 阿部美樹志と阿部事務所』
  日刊建設通信新聞社(1993)
 4)真島健三郎
 『耐震構造問題に就いて』
  建築雑誌第491号(大正15年10月号)
 5)佐野利器
 『耐震構造上の諸説』
  建築雑誌(昭和2年1月号)
 6)真島健三郎
 『佐野博士の耐震構造上の諸説(評論)を読む』
  建築雑誌(昭和2年4月号)
 7)真島健三郎
 『柔構造に対する武藤君の批評に答え更に其の余論を試み広く諸家の教えを仰ぐ』
  建築雑誌(昭和6年3月号)
 8)棚橋諒
 『地震の破壊力と建築物の耐震性に関する私見』
  建築雑誌(昭和10年5月号)
 9)真島健三郎
 『棚橋諒君の新説(地震の破壊力と建築物の耐震性に関する私見)を一読して感想を述ぶ』
  建築雑誌(昭和10年10月号)
 10)真島健三郎
 『地震と建築』
  丸善(昭和5年6月)

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION