(5)日立造船(株)舞鶴工場(旧舞鶴海軍工廠)
明治30年(1897)10月に海軍造船廠条例の施行により、各軍港の鎮守府に造船廠が設置されることとなった。同年、舞鶴でも軍港敷地の開削が始められ、主要な建物は、同35年(1902)から36年にかけて完成した。
造船廠は同36年11月に舞鶴海軍工廠と改称し、開設当初は艦艇の補修を目的としていたが、その後躯逐艦、水雷艇などの小型艦建造と水中兵器を特色とする工廠として発達した。第二次世界大戦終結を間近にした昭和20年(1945)7月29日から30日にかけて、当地においては最大の空襲に見舞われて工廠は甚大な損害を被った。
海軍工廠は、終戦後の昭和21年4月1日、飯野産業株式会社舞鶴造船所として再スタートし、その後幾多の変遷を経て、同46年には日立造船株式会社と合併し、同舞鶴工場として新発足し、以来現在に至っている。同工場の敷地内には全部で24棟の煉瓦建造物と2つの煉瓦造構築物があり、その建物のうちイギリス積みが16棟、フランス積みが8棟ある。いずれも、工場や倉庫として現在も便用されている。