(3)北吸浄水場配水池と桂貯水池
舞鶴海軍鎮守府開庁に向けて、多くの海軍艦艇用に大量の補給用水を確保するため、軍用水道の施設として、水源地を与保呂川上流に求め、明治33年(1900)9月に桂貯水池を完成させた。翌34年10月に北吸の高台に浄水場及び配水池(容量2,400m3)が完成し、同11月から給水を開始した。
桂貯水池の堰堤は石張りコンクリート、高さ12.4m、天端幅2.2m、堰堤延長43.6m、貯水量8,000m3の小さな貯水池である。この水門と堰堤に煉瓦が便用されており、水門には舞鶴市で育った海軍の水路測定の先躯者である伊藤螂吉の名とともに右から「清徳霊通」と刻まれている。昭和60年5月には近代水道百選に選ばれるなど、現在でも清浄でおいしい水の水源地となっている。
また、北吸浄水場配水池は、当初1池であったが、その後の軍拡によって大正6年(1917)2月から同10年6月に北吸浄水場と岸谷貯水池の拡張工事を行い、この時配水池を1池(容量2,460m3)増設した。
昭和20年10月から舞鶴市が終戦に伴い、軍用水道の全施設を管理運宮することとなった。北吸浄水場は、同39年11月に廃止されるまで65年間稼働し、現在配水池を除く施没は、市民プールに転用され夏季は市民で賑わっている。
この配水池本体は、縦27.20m、横20.25m、深さ5.60mのコンクリート造で考る。向かって右側の第1配水池(明治34年)の内側は石張りとなっているが、左側の第2配水池(大正10年)には石張りは見られない。ともに導水壁は5列(長さ16.8m、厚さO.6m)で煉瓦積みである。
また、配水池上屋はともに煉瓦造(高さ2.4m)で、大正15年に建てられ、屋根は約22mの鉄骨トラス組でトタン葺きとなっている。
正面中央入口は、高さ3.4m、幅2.7mで、上部にアーチを施したロマネスク風の酒落たデザインになっている。このほか、北吸浄水場跡地には、煉瓦造の構築物として正門(片側のみ)、排水井、メーター室が残っている。