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(2)北吸煉瓦倉庫群(旧舞鶴海軍軍需部本部地区)

 海軍軍需部本部地区の変遷としては、舞鶴鎮守府の開庁当初は、現在ある赤れんが博物館から文庫山の東側までは海軍兵器廠、文庫山西側は海軍需品庫、その先は経理部衣糧科衣糧庫、文庫山は海軍測器庫であった。明治36年(1903)海軍工廠が発足すると、海軍兵器廠は工廠の造兵部武庫(同42年から兵器庫と改称)へ、海軍需品庫も同じく海軍工廠に統合される。大正12年(1923)海軍軍需部令の施行により、海軍測器庫を除きこの一帯は海軍軍需部本部地区となった。
 この赤煉瓦倉庫群は、舞鶴鎮守府の軍需品等保管倉庫として明治33年(1900)臨時海軍建築部支部(舞鶴)の直宮工事で建設に着手され、大正10年(1921)までに次々と建てられたものである。
 明治33年(1900)に海軍測器庫の建物、続いて同34年に衣糧庫2棟が建てられ、同35年には需品庫3棟と兵器廠の砲銃庫3棟が、また、同36年には魚形水雷庫と水雷庫の各1棟が建てられた。その後、大正期の軍縮が検討されている時期に、第三水雷庫(大正7年)、需品庫(大正8年)及び被服庫(大正10年)の3棟が建てられている。
 明治37年(1904)に軍港引込線が開通し、現存する目衛隊所有の3棟を除くすべてが倉庫内まで線路を引き込み、昭和47年(1972)に中舞鶴線が廃線となるまで線路は残り、当時の様子を偲ばせていた。
 舞鶴海軍草々期に建てられたものは、大正時代に建てられた倉庫と比べ外観に意匠的な工夫が凝らされていて、急ピッチで進められた工事であるにも関わらず、丹念に造られている。使用されている煉瓦の多くは大阪を中心に集められたものである。
 現存する煉瓦造2階建て11棟、鉄骨煉瓦造2階建て1棟のうち前者10棟は倉庫として現役で活躍し、他の2棟は新たに「赤れんが博物館」「市政記念館」として活用されている。

 

 

 

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