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瞭さは個人差がありますし、広い場所では口形もよくわからず聴障者だけでなく健聴者の来賓にも子ども達が何を言っているのかわかりません。

また、「おはよう」「さよなら」「ありがとう」「ごめんなさい」など社会生活の際の最低限必要な挨拶(コミュニケーションの原点)―それは声がなくても、手話がなくても表情や態度での表現で通じる面があります。――しかし発音練習することに力を入れるあまり、その挨拶の大切さを学ぶ経験が少なくなりがちで、それは卒業後、人間関係を築いていく際の支障にもなるのです。ろう学校はあくまで円満な人格の育成を目指す教育の場です。そして教育は一部の専門家の係わるものでなく、社会の全ての人々が意見や知恵を出して行くものだと考えます。

「ろう教育に手話導入を!」と要求するだけでは現実は変わり難いのです。ろう学校の教育を受けた後社会に出て、自立しているろう者本人の意見を出して欲しいと思います。

なぜ、ろうあ者(Deaf)を選択し手話を母語として暮らすのか、本人にとって「聴覚口話法」の教育はどうだったのか等・・・。

だから、皆さん、国内外を問わず様々な機会を捉えて自分の考えを表しましょう。新聞社やテレビ局に投稿するのもいいと思います。文章が苦手ならビデオも良いと思います。手話がすぐれたコミュニケーション手段である事、自己表現方法である事、敬語的表現も兼ね備えた言語である事、母語としている本人がもっともっと主張して下さい。そして年配のろう者や、他の障害のある人々・健聴者と語り合い、力を合わせましょう。人は年齢・障害の有無・障害の違いを越えて仲間になれると信じます。「ちがい」を排除していけば孤独や差別が残るだけです。現実を否定するだけでは変化は訪れません。不満や怒りを前向きな力にかえて頑張りましょう。(これは私自身にも向けて言っていることなのです。)

手話を母語とする人にとって、手話通訳は情報の窓となる場合もあるでしょう。命の綱となる場合もあるでしょう。自分からその窓を閉じないでください、綱を切らないでください。

“手話通訳”は行政が養成しますが、ろう者と共に歩む手話通訳者や健聴活動者を実際に育てるのはろう者自身です。互いに影響し合い、共に学び共に育つ仲間を増やしていきましょう。現在の制度も、先輩達がそうして力を合わせて勝ちとってきたものです。

長くなりましたが、最後に「健聴者は酔っぱらうと聞こえなくなるの?」と、きいた君へ。

適切な答えが出来なくてごめんなさい。

私が見た限り、酔っぱらって大声で話したり、頭が痛くなるような笑い声を出しているのは日本人だけ(それも一部の人だと思う)で、同じ日本人として私も気になり恥ずかしく思いました。

初めて体験する私の国際体験

原恵美

私がこの海外派遣でヨーロッパに行くまでは、日本のあらゆることを当たり前のように思っていました。しかし、ヨーロッパに行ってから「日本」を考えさせられました。

例えば、日本では知らない人には知らんぷりをしてそのまま通り過ぎるけれども、ヨーロッパでは知らない人でも話さえすればもう友達という風に迎えてくれたように感じました。また、日本人は初対面の人にはどういう人かいちいち詮索してしまう慣性があります。ヨーロッパの人達はそんな所はほんの少しも感じられません。

反対に、ヨーロッパでの食物は栄養が偏よっていると思いました。日本や野菜・果物等を食べることによって栄養のバランスが保たれているのだと気が付いたのです。

ヨーロッパに行くことで興味を持ったのは、日本と異なる言葉・手話でした。つまり外国の言葉や手話です。私は小学六年か中学一年のころ、外国の言葉に興味を持っていたので、今回は実際に各国の言葉や手話を教えてもらういい機会だと思

 

 

 

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