体でバスに乗って、まずにパリ市内を見学して自由行動しました。私と美土路さんと一緒に、他の人も一緒に、ルーブル美術館で別々に行動しました。私は、「モナ=リザ」と「ミロのヴィーナス」を目の前にして、感激し、改めて「芸術の都」と確信しました。そして、美土路さんと一緒にエッフェル塔へ行き、上まで行って、夜景がちょうどきれいにダイヤモンドのようにかがやいていました。とてもきれいだった。最後の夜で、セーヌ河へ行って、レストランで食べるために船に乗りながら食事を楽しみました。本当に最高な15日間でした。
最後に、私にこのような機会を与えて下さった(財)世界青少年交流協会、そして職場の上司に深く感謝する。素敵な思い出もありがとうございます。仲間を含めて、皆さまには大変お世話になりました。
身障青少年の国際体験―報告にかえて―
佐藤潤子
先ず、今回の「身障青少年の国際体験」に団員として参加させて下さった(財)世界青少年交流協会そして仲間として受け入れてくれた団員の方々に深く感謝いたします。有り難うございました。
「忙殺」という言葉がありますが、今回の国際体験前後の忙しさは自分の人生の中で他に比べるものがない程でした。出発前、訪問国の教育について情報を得ようと母校の教授を訪ね、またそこで紹介された研究者を訪ねたり、自分でも文献を探したり・・・。勿論15日間の旅行支度、手作りおみやげ準備、休暇中の仕事の手配・申し送りも有りますし、更にろう重複障害者作業所・クラブの年間最大の行事が10月27日で、その準備もあり4時間睡眠の毎日でした。帰国すれば、休暇中の仕事の整理もしながら、5日後に職場のろう学校の文化祭・・・・・。そんな中、入院中の重複学級生徒(双子)が10月14日、11月18日に相次いで亡くなったのです。大変ショックで、重度障害者が自分の命をかけて毎日を生きていると感じる出来事でした。ウィーンの訓練センターの訓練生(重度重複障害者)は今日も、ある日のように活き活きと働いているだろうかと思い出します。
旅行中もハードスケジュールでしたが今回の旅での人々との出会いは、生涯忘れられないものになりそうです。各国の子ども達・訓練生やろう協会の人々、そして教員やセンターの指導員・・・お互いに通じ合うと信じて話せば、通じるものがあるのですね。
ろう協会の人々は、持参した日本のろう学校や重複障害者の様子の写真に関心を示して下さり、話がはずみ、またこちらの様子(疲れ、その他)充分わかって、とても暖かく接して下さり、感激しました。
そして今回の訪問のプログラムでもうひとつの重要な部分だった、ろう学校。海外に出てやはり日本のろう学校について感じ、考える事がありました。訪問国の状況については他の団員が詳しく述べられると思いますので、今回の経験を踏まえた上で私の感想というか、考えを書きたいと思います。ウィーンのろう学校で、教員から「日本のろう者の人達はどうして声を出さないの?」と聞かれたとき、団員でろう学校の教育をうけた人が自分の意見を出して答えてくれるのを期待しました。日本でもろう学校の教育方法は幼児・児童教育段階では殆どの学校が「聴覚口話法」を採用し、発音発語訓練に力を入れています。しかし卒業生の多くがみずから、ろうあ者(Deaf)を選択し手話を母語として暮らし、ろう学校の教育に手話の採用を望んでいます。
「聴覚口話法」は聴覚に障害のある子ども達のことばを豊かにし、語彙を増やすのに最も有効な教育方法なのでしょうか?現場の教員の中には指文字や手話など工夫しながら子ども達の“ことばの世界”を広げようと試みる者もいます。しかしそれは学校生活のインフォーマルな場でのことです。
学校行事は全て口話で進められます。発語の明
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