得が一番重要だと強く痛感した。口話だけではあまり役立たない。ろう者として手話で話すのが一番自然で当然である。欧州なのに何故ASLが必要?と思う人がいると思うが、欧州のろう者は何人かアメリカのギャローデット大学に留学する人がいて、そこにASLを習得して祖国へ持ち帰って普及しているからである。
ブダペスト市内の市場の中で偶然、イスラエルのろう者夫婦と会ったが手話(一部ASL)で少しやりとりできたのでそれも良かった。(この夫婦もギャローデット大学出身)ろう者だからどこでも誰とでも話できるからやっぱりろう者で良かった。ろう者に国境という文字はないと実感させられた。
他に欧州の良い、悪い両方あったが日本も同じなので良い所をまず、身近な周りから伝え、最終的には全国まで伝えていきたい。
余談だがエピソードとして書きたいと思う。ウィーン市内の“古い絞り器の家”というディナーした所で、ロック?かわからないが音楽が流れながら食事をとっていたが、ろう者達はムードにかまわずおしゃべりでワッと盛り上がったせいか、ギターを弾いていた人達が時々「?」のような顔をこちらへ向けた。手話がめずらしいと思ったのか、ウェイトレスさんが私に寄りかかって来て、「手を動かすものは?」のような顔をしていたのでリーダーの角谷さんが説明したら、納得したらしく、彼女は「私の名は“オルガ”なんだけど、手話ではどう表わすの?」と聞いた。それで皆と話し合った結果、日本語の「いるか?」の意味で「おるか?」の手話を教えたら彼女は「オルカ」の手話を何度も表わしながら満足そうに帰っていったので面白かった。
最後にお金では買える事のできない貴重な体験の機会を与えて下さった、補助事業の日本船舶振興会をはじめ、世界青少年交流協会の方々、リーダーの角谷さん、手話通訳の方々、心から深く感謝致しております。本当にありがとうございました。そしてろう者の国際体験事業がいつまでも継続することを心から願っています。
「私のヨーロッパ体験」
松本夕子
私が「身障青少年の国際体験」に参加した動機は、2年前参加した先輩が、「ヨーロッパへ行けば、色々な文化、歴史を学ぶ事が出来るし、外国人ろう者と交流出来るし」などなどすすめられ、私はすごく迷いましたが、行きたいという気持ちもあり、結局、参加しました。一番の楽しみと言えば、外国人ろう者との交流です。2番目は、日本と違ってどんな風に生活を送っているとか、文化、歴史を最も知りたいし、色々と勉強したいからです。でも団員として選ばれ、とても嬉しかったです。まさか行けるなんて思わなかったです。初めての海外、憧れのヨーロッパ4ヶ国、ドイツ、オーストリア、ハンガリー、フランスに向けて、成田を出発しました。私が感じた事ですが、ヨーロッパは思ったより街がきれいで雰囲気もまったく日本と違うのです。外国人ろう者と交流。(アルトハイデルベルクろう者)外国人ろう者と私も手話が通じるか、どんな方法で、会話するか、迷いましたが、向こうから声をかけられました。手話と言うか、身振りでです。私から見ると向こうの言いたい気持ちが分かりました。私も身振りなどまじえて会話をしました。日本の手話とヨーロッパの手話は違いなど、色々教えてくれました。いい勉強になりました。やっぱり、私も「やれば出来る」と思いました。お互いに言葉が通じなくても、仲良くする事が出来、本当にいい体験が出来ました。本当に嬉しいです。難聴者協会本部を訪問しました。(ブダペスト)生徒129人いて、110人は小学生、19人は幼稚園に分かれていました。129人の中で45人は寮で暮らしている。子供達がかわいそう…。家族がいなくて淋しい感じです。でも、家が遠い人達だから仕方ないかもしれませんね。1クラスの生徒は少ない。日本のろう学校も同じです。その学校は個人授業が多い。先
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