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時代の中で息づいてきた法隆寺
 「法隆寺iセンター」で話に伺った「斑鳩の里観光ボランティアの会」の会員と思しき方が、案内板に見入っている二人連れに声を掛けている。聞くとはなしに耳に届いた会話からすると、ボランティアガイドの方は鎌倉の方。定年退職を機に月に何度か「斑鳩の里観光ボランティアの会」の会員として活動なさっているとか・・・。ここにも法隆寺の魅力に取り憑かれた方がおられた。一体ここまでさせる法隆寺の魅力とはなんだろう。
 
 「なかなか難しい質問ですが、強いて、言うなら、この法隆寺には飛烏時代から現在まで、全ての時代、時代の建物・宝物、すなわち「思想・教示」が受け継がれているということでしょうか。」
 社会の流れの中で様々な影響をうけて、人々の考え方や価値観は変化していく。権力争いが頻繁に行われ、戦火に曝されて消失していったお寺が多い中で、この法隆寺は各時代、各時代において御堂が建立され、仏像が安置されてきたそうだ。そしてそれらは今も現に法隆寺の施設として日常の修行の場、参拝の場として生き続けている。だからこそ、その時代その時代で息づいていることを実感させてくれる。
 
金堂(飛鳥時代)【法隆寺提供】
 
精霊院(鎌倉時代)【法隆寺提供】
 
五重塔(飛鳥時代)【法隆寺提供】
 
 「先徳方の努力とともにその時代その時代を生き続けてきたことの証でしょうね。
 長い歴史の中で先徳方がその時代における宗教性、信仰形態を的確に受けとめて、この法隆寺にも反映させてきたことが挙げられます。例えば、平安期は密教系の信仰形態が主流であったものが、鎌倉になってくると浄土系へと変わってきます。それに伴ってお堂なり仏橡なり仏画なども変わってきます。それらを受け継いで来た結果として、この法隆寺には多様な仏様がおられ、お堂が建立されています。元々飛鳥時代には宗派などといったものはなく、奈良時代に入って南都(奈良)を中心に『南都六宗』が栄ましたが、これは今の宗派と言われるものと違って各教義を研究する学派でした。その後、平安時代に入って天台宗、真言宗が加わって八宗となりましたが我々は八宗兼学といっていますが、ある意味では、仏教の総合的な信仰の場であり、学問所であったわけです。これは法隆寺に限らず、奈良のお寺全てがそういった性格のものなのです。」
 
 つまり、お寺という空間はその時代、時代でどうすれば仏様の教えを民衆に伝えられるかを研究する場所であったらしい。しかし、仏教の学問所にも様々な時代の荒波が襲いかかるのだが、法隆寺はなぜそこから逃れられたのだろう。
 
 「その研究の過程で、様々な信仰の表し方をされる僧が出てきて、例えば行基さんのように社会福祉に献身されるような方も現れることとなり、また政治に影響力を及ぼすような僧も出現することになります。法隆寺の場合は、今でこそ名を知られていますが、当時で言えば、興福寺、東大寺に比べて一流のお寺でもなく、また、田舎に存在する寺であったため、政治に影響力を及ぼすような僧がいなかった。このことが結果としては、政争に巻き込まれることもなく、戦火にも遭うこともなく連綿と長い歴史を今日まで受け継いでこれたとも言えます。」
 「参拝客の皆さんは、十人十色ですけど、こうした歴史の中に存在する法隆寺は、時代が異なるだけではなく、何弥陀様、観音様、薬師如来とバラエティーに富んだ信仰形態と仏像をお祭りしていますので、10人それぞれの方が何らかの魅力を感じとっていただけると思います。」
 
夢違観音(白鳳時代)【法隆寺提供】
 
百済観音(飛鳥時代)【法隆寺提供】
 
講堂(平安時代)【法隆寺提供】
 
観光は自分の本未を取り戻す旅
 そんな魅力に溢れる法隆寺であるが、管長さんだからこそ知っておられる、とっておきの見所、視点があれば教えていただきたいと思うのが人の常なのだが、
 
 「昔から「和光同塵(わこうどうじん−光を和らげて塵に同ずる)」ということがよく言われます。これは元々老子の言葉ですが仏教の中に取り入れられて「仏様とか菩薩は、その知恵の光を和らげ、すなわち隠して我々俗世間の者の中に同(どう)じ、なおかつ常に救いの手を差しのべておられる」ということです。観光というのはこの光を見つけに行くことなんです。自然に差しのべられている力を探しに行くことです。これが旅する人々の一番重要なところです。その対象が仏様であっても、神様であってもあるいは自然の景観であってもいいんですが、その中に力が及んでいるそれを見出した人が、心救われる感動を得られると思います。昔は巡礼とかという言い方もしますが、観光とは自分の本来見失っているものを取り戻すために旅をすることだと思います。
 私たちは、ここに来られるお客様がそうした光を見つけやすい環境を提供させて頂きます。ですから、ここに来られる方は、自分でその光、感動を見つけて頂きたいと思っています。人それぞれに、感動する対象は異なりますから、自分の気に入った場所、空間でじっくりと味わって頂きたいと思います。」
 
 人はそれぞれに個性をもち、感動する対象も異なるはず。言われてみると至極当然のことなのだ。しかし、誰かが(特に著名人ならなおさらのこと)褒めるから自分も無理矢理感動してみせる・・・。一度や二度ならず、そんな経験は多くの人がお持ちだろう。効率第一主義の大波に溺れそうな現代生活の中、たとえわずかでも、どこかでゆったりとした時間を生み出し、自分に正直になれる空間を作り出して行くべきではないだろうか。大野管長さんのお話を伺っていて、あまりに短絡的で、感動を得ようとすることさえ人任せ的な発想しか出来ないわが身の浅薄さに改めて気づかされる。
 私の感覚からすれば、観光と名が付けば、団体で繰り出すか、もしくは家族サービスというのが頭に浮かび、一人静かにといったイメージは思い浮かばなかったが、「巡礼」という言葉で思い浮かべればなるほどと納得ができる。どこでもいい。大野管長さんの言に依れば路傍の石ころにも光を観ることは出来るそうだ。となれば、一人気ままにふらりと「観光」と洒落込むのも生活にメリハリが出てくるかもしれない。
予備知識より「無」の境地
 今日、大野玄妙管長さんのお話を伺うにあたって、ここ法隆寺についての事前調査はしてきたものの、中身はインターネットやガイド本の拾い読み程度で、正直なところ少々心もとない思いでいた。そんな思いがあって、管長さんからなにか聞かれたらどうしようと多少の心配も頭をよぎったのだが、それは、凡人の凡人たる故の無用の心配だった。
 
 「前もって予備知識を勉強してきて頂くのもいいのですが、むしろ、それをせずに「無」になって自分の心に偽らない五感で感じ取って頂きたいと思います。それから勉強しても遅くはないんじゃないでしょうか。さらに申し上げるなら、もっと深く知りたいとお考えの方には、時間的に許すなら是非「法要」に参加して頂くことをお勧めします。法隆寺の法要は公開していますので、物理的に可能な限りは参加頂けるようにしています。お寺の儀式を体感して頂くことで、歴史の伝わり方など法隆寺の新たな発見もして頂けるのではないかと思います。」
 
 
夢殿(奈良時代)【法隆寺提供】
 
人間の歴史の営みを感じて
 管長の大野玄妙さんへのインタビューを終えて、法隆寺内を拝観して回る。大野管長さんのお話しにあったように、自分の気に入ったところをゆっくりと探してみる。五重塔の真下から空高く突き出している五輪を眺め、地震の揺れを見事に体内に吸収してしまうという匠の技に感心。たわいもないことに感心し、たわいもないことを改めて見つめてみると心が和らいでくる感じがしてきた。東門をくぐって「夢殿」へ行ってみる。目の前にあるこの建物の中で、世の安寧、民衆の幸を願って経を読み、仏の道を求めてきた人間の日々の営みが、奈良時代から延々と今日現在に至るまで続けられていることに想いを馳せる。奈良時代、平安時代、鎌倉時代と各時代の中にも私に似た男もきっといたのだろう。そんなたわいもないことを考えながら心穏やかになって法隆寺を後にした。
 JR法隆寺駅へ着いて改札を抜けると、なにやら構内放送が流されている。あまり上等でないスピーカーの所為か、音が割れて内容がよく聞き取れない。俗世はやはり騒がしいと思いながらもまだ法隆寺の別世界の余韻に浸っていたが、だんだん精神構造が俗世に舞戻って来て、よくよく放送を聴いてみると・・・
 「ただいま王寺駅のポイント故障のため、上下線とも列車の運行を休止しております。復旧まで約30分の見込みです。大変ご迷惑をおかけしますが・・・云々」
 なんということか。時刻は夕暮れ、日中の陽気を考えてコート無しの身体を寒風が容赦なく突き抜ける。万葉人はゆったりとおおらかに日々を過ごしていたのだ。たかが30分間待つぐらいのこと如何ほどのことがあろうか。・・・しかし、30分が経過しても列車は来ない。放送は同じ内容でくり返されている。風はますます冷たさを増してくる。辺り構わず座り込んでいる女子学生の矯声が耳を刺す。寒さの所為なのか、苛つきからなのか貧乏揺すりをしている自分に気づく。50分間ほど待ってようやく到着した列車に乗り込んでやっと心が平静に戻った。やはり凡人である。まだまだ光を探し続けなければならないと痛感した。 (加々里)


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