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競艇沿革史

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


津競艇の初開催 準備不足でゴタゴタ
  津の時は、余興もあったね。
 原田 津の時ねえ。
 平野 あの時は苦労したなあ――。
 原田 みんな張りきっていた、水田勇さんも柏木さんも張りきっていたけど、こっちも負けるもんか――と張り切ってましたよ。
 平野 藤さん!私はきょう初めてお話しするんですが、“僕らの泊っている宿へ、藤おやじが来ないようにしてくれ”といったのは、原田君と青木君ですよ。
  それは知らなかった。
 司会 藤先生が来ては困るというのは、どういうことですか。
 平野 大体、怒鳴って歩くおやじをニコニコ歓迎する者はおりませんよ、一ぱい入ると、だれをつかまえても「こらッ――」とやるんだから――。そのころ、津は開催出来るか、出来ないかで、ごたごたしていたんです。開催の前日になっても、エンジンを持ってピットヘ入ると、ピットがもぐっちゃう、メガホン一つ頼んでも、なかなか間に合わない。
 その日、原田君と青木君は憤慨して、午後、途中で引き上げちゃった。“開催の案内状は出したが出来ないだろう「連合会の責任だ」”という市長の談話が新聞に載って―
 私たちの宿屋へ新聞記者が押しかけて来ました。原田君と青木君は「お前の役だ」といって出てくれない。「市はいまこうなっている、開催できんのじゃないか」というんで「そんなことはないでしょう」と、とぼけて「こういう準備というものは、一晩のうちに城が出来るくらいのものなんです。大体、どこでも初開催というときに、三日も前に準備完了というような所はありません。おそらく、この一週間で一ヵ月分、一夜で三、四日分の整備が出来るでしょう。中西助役が徹夜でおやりになるといってましたから――」と。
 こちらは、一応、その日の仕事が済んだから引き上げたんですが、連合会は憤慨して「もうやれない」といって、引き上げたというふうに伝わって――。
  私は桜水樓に泊っていたが、そういうことは知らなかった。板倉もそちらの方へ行っていたし――。
 平野 板倉さんは私たちと一緒でした。
  私が一ぱいやっていたところへ、当時の議長近藤君と現在、競艇委員長の柏木君の二人が、朝日新聞を持ってやって来て、それに、明日の開催は出来ない、と書いてあるわけだ。“どうしても明日やらんことには、市の面目が立たん、何とか方法はないか”というわけで――いまだから話すけれど――。
 平野 なるほど。
  どういうことで怒ったんだと聞いたら、ちょっと無茶だ、まず矢次、笹川が帰る時に市長が汽車まで見送りをしなかった。無礼千万だというんだ。向こうは山岸舟艇班長はじめ、あそこで一ぱいやっているんだ、何とかならんかという。
 こっちは、ちょつと腹が立っていたんだ、ボートが海に浮かぶようになったら、すべて君の功績にする、とこういう大きなことをいっておいて、何らの挨拶もない。中央委員の末席に私を入れといて、同志の板倉弥三郎は末端だ。縁の下の力持ちばかりだから本人は満足しているけれども私は見るに忍びない。中っ腹のところへそんな話が来たんで、おやじに聞いたんです。少し無茶だという、私は「この際やりますよ」「あまり無茶やるな」と。そこへ松岡賛城が来た。それで私と柏木と松岡と三人で、清月という料理屋だったと思う。矢次さんに面会を申込んだが何の返事もない、ダッダッダッと上がって行った。きら星の如く居並んでいる。もうけんかだから――おい、矢次、一体やらすやらさんなどと、どういう権限があるんだ、山岸君だって、わずかばかりの権力を持った役人が何の権限があってこれをやるんだ。と、ぱあーっとやりまくった。やーさんも山岸君も、かあーっとなっちゃって――それでやーさんと私のけんかの始まり――。
 平野 それは(原田氏に)君らが引上げた後だろう、君と青木君が引上げちゃったんだよ。
 原田 うん、うん、うん。
  それから君のところへ行ったんだ。
 平野 私は何にも知らなかったんだ、相談なしに技術部長が引上げちゃったんだ――矢次さんや笹川さんの指示も仰がなかったし、こっちは、ずうっと幾日も寝ずにやったわけだ、泥んこになって――ところが津の担当課長さんは新任されたばかりだったので、命令一下というわけにいかなかったでしょう。
  増田さん?
 平野 増田さん。血気盛んな原田君と青木君が引上げちゃったんですよ、何をやっても、いかにいっても間に合いそうもないと、とうとうリミットに来ているので――巨頭連中の指令で動いたんではないんですよ。
  いやいや、新聞に――。
 平野 どうも志田市長さんがPRの意味もあって、新聞社に少し大げさに発表したきらいがありましたね。
 後で中西助役が飛んで来た。私は「うちの技術屋連中が、こういうことをいってるんです」と、幾つかを話し「私も徹夜します、失礼ですが、今日は中西助役ご自身で指揮して下さい。これが出来なければ私らも大変なことになるんです」と、原田君と青木君のいったことを書いてあるのを整理して十くらいにして「中西さん、明朝六時に私が見に行きますから、このうち幾つが出来ているかによって決定しましょう」といって、別れました。若気の至りで、ずいぶん失礼してしまったんですが、当時、私たちも真剣でしたよ。
 それで早朝五時半に行ったんです、岸壁へ――そこで長い長い握手をして――。藤さん、あなたが来るというんで原田君や青木君にはつるし上げを食うし、新聞記者は押しかけて来る。板倉さんが一緒だったんで、ずいぶん心丈夫でしたが――。
 司会 いろいろ、そういう苦労があって開催になったんでしょう。
 平野 開催になって、前日の事件の内容を報告しなければならない、概要をすぐ運輸省の甘利さんに連絡したんです。
  それで山岸君が代わるようになった。おやじさんは、あそこを開設してからほとんど私とものをいわんし、会えばけんかばかりして――石川一衛さんが中に入って、手を握らしてくれたんで、それからは、おやじさんと一緒に出張した。
 原田 藤さんは、夜呼び出されたんじゃないんですか、柏木さんのところへ――。
  私の宿へ行った。
 原田 いや、そちらの何とかいう宿へ――柏木さんも藤さんもいたよ。
  そうだったかな――。
 原田 かなり遅い時間に――。
 平野 いまから考えると、行動力の旺盛な頭脳明せきな青木君、選手の指導、技術面からモーターボートの運営に献身する原田君。新聞記者に押しかけられたとき――冷静に、懸命に応対して、それでも疑う記者には「じょうだんじゃない、これがやれなかったら連合会にも運輸省にも犠牲者が出るでしょう?全く、私ら市長と同じ立場にあるんだ」と。そして「明日開催してみせる」と。
 司会 帰られた原田さんたちは、また来たんですか?
 原田 引上げたというのは旅館にですよ。普通は、前日は夜遅くまでやるか、徹夜しなければならない場合もあるのに、午後二時か三時ごろに、憤然として「これじゃあもう出来ません」と、本当にやらない積もりじゃないんだが、ある程度発破をかけたんでしょう、止めたって聞きゃあしないんです。それも新聞社のオートバイで――。
 実際に設備は出来ていなかったんです。競技部の裏の方は民家を借りて――電気を置く所が明るいというような普通の通路で――工場に入っても室も管理も出来ていない、それで、これだけは是非必要だというものお願いしてやったんです。中西助役、増田課長は新任で命令が徹底しなかったり、その上、私たちのいうことを受け入れる感覚が違うんです。私たちは大村でやって、すぐ津ですから、こちらは真剣に「コップを置いて下さい」「水を用意して下さい」というんだが、受け入れる方では軽く受けていて――。しかも連日のことだから、かあーっと来て引上げちゃったんです。
 司会 市長だって自分でやるんだから、もっと力を入れてもよさそうなものですが――。
  いゃあ!それはやーさんに一発、出ばなにやられたんだから――。
 司会 大体いままでのお話で、開催の苦心談を伺ったわけですが、四大競走というのはどうして出来たんですか。
 平野 話は前後しますが、各地で競走場設置の認可をとることについて、熾烈な競争があって――、大変政治的な一つの例をあげますと、全国で佐賀県だけは知事の副申なしで認可を受けているはずです。佐賀県では、唐津にするか、伊万里にするかで、当時、副知事と経済部長がどちらかの出身で、両方、わが地元へ競走場をということで、板ばきみになった知事さん――鍋島さんですか――が副申を付けない。延々と延びること。結局、競艇場は唐津に、国体を伊万里に持っていくということで妥協はついたんですが――。これに代表されるように、主催権の獲得と同時に競走場をどこに設置するか――当時、一都一県に二競走場以上はいけないという規定があったわけです。
  ただし、東京都は三ヵ所。
 
第一回ダービー好調 記念競走も発足
 司会 ダービーのことですが、何かそういうものを設ける理由のようなものがあったんでしょうか、また初開催はどこでしたか。
 原田 ダービーの初開催は若松です。
  若松です、私は、会長代理で祝辞をやりました。
 平野 日本選手権をやるということは、それはもう最初からの念願だったんです。当時、競艇場が少なかったことと、その中では若松が比較的まとまっていたということでしょう、まだ福岡は出来ていなかったんじゃない?
  いや、出来ていたでしょう。
 司会 始まって間もないころですが、ダービーがやれたんですか。
 原田 大体、少し上向いてきてたんです。ダービーは盛大でしたよ。観客も集まったし、売上げも当時とすれば良かったです。相当な盛り上がりをみせて――。
 司会 モーターボート記念競走というのは、どんないきさつで始まったんですか。
  ダービー、地区対抗は、大体、一流のところでやったわけで、まわっていかない施行者があるわけです。それで、記念ボートをということで追加されたはずです。
 平野 ダービーの開けない所、順番がなかなかまわって来ない所でやるということで、苦心の結果、記念競走が生れたわけです。
 話は戻りますが、大村の初開催は、あそこなら手直しが利くということがあったんです、テストケースということで多少の落度があっても――。本当は、本番だから第一回は大村ですが――当時、連合会と運輸省の打合わせでは、大村なら国の一番端だから、何かあっても致命傷にはならないという、深謀遠慮といいますか――。
 原田 当時はいろいろと大変でしたよ。あのころの笹川事務所のことですが、じゅうたんは敷いてあるけど泥だらけ、暖房なんかないから寒くて仕様がない。中村さんに袋入りの炭を買って来てもらって、七輪、あの四角な七輪に火をおこして――私の家も逼迫してたけど、もう少しは暖かかった。
  このくらい(手を拡げて)の大きな火鉢が、会長のところにあったでしょう。灰の上に、半紙に赤い字で“火の魂”と書いたのが載せてあって――。
 原田 大きな火鉢でしたねえ。
 司会 なかなか、どうも――。
 平野 二十七、八年の揺らん時代、現役だった方々は、だいぶ変ってるんじゃありませんか、施行者、競走会ともに、初代の運営や設備で大変苦労された方々は――。
  現在残っている中で、一番古いのは笹川先生。それから私か。青木君は職員だったかな、役員では笹川先生と私、向井さんは一度やめたから――。
 平野 卒直に申しあげて、今日まで政治的にも経済的にも、いろいろな危機があったのを泰然と乗りこえて今日あるのは、何としても連合会が強力だったということ、笹川先生の大きな政治力はもちろんですが――、代わっていないということ。何かの機会に、ちょいちょい頭が――幹部が代わっていると、生きた運営はできませんよ。
 司会 この間も、笹川先生から「施行者はたるんでる」といわれましたし、青木さんには「ゆるふん」だといわれるんですが――私もいつもいうんですが、これは、われわれの組織の弱点なんです。新しい部長や新しい課長が、一年か二年やって、いくらかレースのこと覚えたかと思うと転任してしまう。だから「ゆるふん」といわれても、組織上まったくどうにもならない。いくら、いらいらしてみても――私どもの組合のように、十年も置きっぱなしの所と違って、県や市でやってるところは、どうにも仕様がないという弱点をもってるわけです。
  いま残っているところでも、長崎が代わったでしょう。福岡も、唐津も、山口も代わったし、岡山も代わってるでしょう、広島は残っているね、ひとつ。香川が全部代わってる、四国も――。尼崎は復活したが向井さんが一度やめている。
 平野 ――それも会長が引退された――専務がなったというのは、これはまあ継続ですが――。
  小池さんは、はじめからかな。
 平野 はじめからです。
  それから一瀬さんがはじめからでしょう。
 平野 はじめからです。名古屋は?
  神戸さん。
 平野 一番はじめは下条さん。揺らん時代からずっとご苦労されて、今日かくしゃくとされてる方は、少ないでししょう。
  少ないですよ。
 司会 どうも長い間、いろいろとありがとうございました。では、この辺で――。
(文責・佐藤朝吉)


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