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競艇沿革史

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


社団法人愛知県モーターボート競走会
十五年の歩み
 光陰矢の如しとは良く言ったもので、私共の競走会も、つい先日創立総会を開いたばかりのような気がするのに、今日早くも一昔半の星霜を経過して、創立十五周年の式典も無事挙行し得ましたことは、まことに今昔の感一入大なるものを覚えるのであります。思い起せば、昭和二十六年六月十八日にモーターボート競走法が成立しましたが、吾吾はこの法律が国会審議の過程において、既にその成立することを見越して居りましたので早くより競走会を創立する準備を進めて居り、法案が国会を通過すると共に直ちに活発な活動を開始致しまして、同年七月五日には
名古屋市中区竪三ツ蔵町
名古屋ホテル
において創立発起人総会を開いて居ります。吾々がこのように法律制定以前より競走会設立の準備をして居ったのには次のような経緯があります。
 当時参議院議員であった下條康麿氏は、御令閨(れいけい)が岐阜県出身の故もあり且つ名古屋には姻戚関係の菱田教氏が居られて、中京地区とは深いつながりがあり、後援者も相当数があった関係から、たまたま下條氏が来名された折「近くモーターボートで競輪競馬と同じような競走をさせる法律が出来るが、名古屋地方でもやってみてはどうですか」という話がなされ、最初は危険視して居た人達も二度三度と話を聞くうちに段々興味を持ち始めて、菱田義輝、山内弘吉等の各氏が熱心に研究をはじめ、愛知県にも競走会を創ろうという気運を盛り上げて行ったのであります。そして菱田義輝氏、山内弘吉氏等が中心となって種々努力された結果、次の十五氏が発起人となられ、爾後競走会創立の推進力となられたのであります。
発起人氏名
元文部大臣 下條康麿
元愛知県会議長、元代議士 神戸 真
(株)大和洋行社長 菱田義輝
名古屋鉄道(株)社長 神野金之助
中部日本新聞社長 杉山虎之助
半田市長 森 信蔵
蒲郡町長 舞田寿三郎
(株)大和製薬社長 鳥居鹿三郎
十六銀行取締役 上松貞治郎
常滑町代表 山本森次郎
元豊橋信用組合長 内藤斉平
中部観光(株)社長 山田泰吉
山内弘吉
菱田 教
大島鎗一郎
 発起人の中に半田市長森信蔵氏、蒲郡町長(市制施行前)舞田寿三郎氏の名が見えるのは御両所ともそれぞれの市、町においてモーターボート競走を実施したいとの気持ちを持って居られたためであります。殊に蒲郡地区では、形原町の三浦兼吉氏、岡崎市の天野房市氏が、当時自民党所属の代議士であった福井勇氏との関係から福井氏の意を受けて、競走法案を議会通過させるため、上京して各所へ陳情運動をされた関係もあり、モーターボート競走法に対する認識は、一部の人達の間には早くから持たれて居たようであります。
 また、常滑町(当時)が町長名を出さず、山本森次郎氏(常滑町北條字区長)が町代表として名を出して居りますがこれは法案が議会を通過する以前、モーターボートとは全然無関係な要件で、下條氏が鵜飼鍬吉氏の案内で常滑へ行かれたことがあり、その時集まって居た常滑町の各字区長の前でモーターボート競走の話をされたのがきっかけで、区長側が強い関心を示し、その後区長達からこの話を聞いた町長の伊奈長三郎氏は実業家出身の手堅さから、この種事業に気乗りせず、消極的な返事をして居たため、取敢えず山本森次郎氏が町代表として発起人の仲間入りをされたのであります。
 このような経過を辿って開催された創立発起人総会には下條康麿、神戸真、菱田義輝、山内弘吉、上松貞次郎、森信蔵、舞田寿三郎、山本森次郎、大島鎗一郎、内藤斉平、菱田教の計十一氏が出席されましたが、お互いに一面識もない人が多く、各自自己紹介をした後議事に入って居ります。先ず会議の議長に神戸真氏が推挙され、次いで発起人総代に下條康麿氏を選び、定款を審議決定し、役員を選任し、其後各発起人が相協力して競走会設立の為本格的な活動を開始致しました。会員を勧誘して必要資金を確保すると共に、運輸大臣より設立の許可を得なければなりません。八月に入る頃には漸く会員の数も揃って、八月二十日付で設立許可申請書を提出する運びになりました。
 この申請に対して九月七日付にて桑原愛知県知事の副申書が添えられ、十月一日付「官文第一一〇九号」をもって運輸大臣の設立許可があったのであります。
その後十月十三日に
名古屋市中区東陽町
中部日本倶楽部
において花々しく創立総会を開きましたが、出席者は会員総数八十名中七十一名の多数であり、来賓として愛知県知事代理吉田晃氏を始め県庁より二名、名古屋市役所より一名、第四管区海上保安本部より二名、東海海運局より一名とそれぞれの官衙を代表される諸氏が出席されました。
 当日は、さきの発起人総会の時に定めて設立許可申請書に添付した定款及び事業計画書、初年度並びに次年度の収支予算書の承認を求め、次いで報告事項として役員の氏名発表と紹介を行ない、競走会の事務所を
名古屋市東区車道町七丁目一一番地
菱田義輝方
に置くよう理事会で決定した旨を報告し、来賓各氏より鄭重な祝辞があって閉会して居ります。
 役員には、会長下條康麿、副会長神戸真、理事長菱田義輝、理事に神野金之助、杉山虎之助、山内弘吉、内藤斉平、大島鎗一郎、森信蔵、舞田寿三郎、菱田教、鵜飼鍬吉、中埜半左衛門、竹内増太郎、伊藤市三郎、山本森次郎、山本庄太郎、鳥居鹿三郎、中村庄太郎、上松貞治郎、監事に山田泰吉、堀田英一郎、中島健一の諸氏が就任され、十月二十六日に名古屋法務局において設立登記を完了し、十一月二十八日には連合会にも加入して茲に競走会としての一応の姿が出来上ったのであります。
 運輸大臣への提出書類には、競走会の事業開始時期は二十六年十月三十日となって居りましたが、然しその当時はまだ競走の施行者は勿論、競走場の設置場所さえ定まらず蒲郡、半田、常滑等候補地を立てて競走場設置のための事前審査申請と、施行権獲得の為の指導をして居るに過ぎませんでした。はるか彼方に見える、わずかな一点の光明に希望を託して行動して居たのであります。このような状況下の競走会の存在は、考えただけでも心が暗くなります。
 ここでその当時の蒲郡、半田、常滑等の競走施行を希望する市、町の動きを見ると次のようであります。
 先ず蒲郡町では前記の様に早くからモーターボート競走に対する認識があり、町長舞田寿三郎氏が競走会創立発起人の中に加わって居りましたが、競走会が運輸大臣の設立許可を得る以前既に県知事に対し、モーターボート競走実施の目的で海面使用の申請をして居り、これに対して知事より同意書が下附されて居ります。その時申請した使用希望の海面は、現在の競艇場所在地と異なり、蒲郡西港の入口附近から東港の南方一帯、竹島の近くまでになって居りました。
 この知事の同意書を得た舞田町長は大喜びで種々準備を進め同年十二月一日連合会長宛「モーターボート競走場設置前審査に関する申請」を提出致しましたが、条件に適合しなかったのか、あるいは時機が熟して居なかったのか、審査結果の回答を得て居りません。蒲郡が本格的に競艇事業と取組みはじめたのは二十九年に入ってからであります。
 次いで半田市の状況を見ますと、二十六年十二月二十四日付にて「事前審査申請」を連合会に提出されましたが、これまた蒲郡同様、不発に終わって居ります。こえて二十七年七月十日付にて再度「事前審査」の申請をしましたが、この時も手続上の不備があって審査が遅れ、同年八月三十日第六回半田市議会において「モーターボート競走場設置の件」並びにそれに附帯する諸案件を上程可決し、又知事の「海面使用」の許可も得て、ここに必要な手続きが整い、ようやく連合会の審査を受けることが出来たのであります。連合会はその結果、同年十二月一日付で設置承認の旨回答して来て居ります。
 常滑町の場合は蒲郡や半田とは少し趣きが異なって居りました。最初はモーターボート競走に懐疑的であり、消極的であった町長も各字区長をリーダーとする多数町民の熱意と根気の前には、何時までも反対を押し通すわけには行かず、ついに競走実施に踏み切ったのであります。町長の肚が決まれば事は簡単です。後は迅速に必要な諸種の手続きが運ばれ、二十七年一月二十四日付で連合会より「競走場設置承認」の回答が出されましたが、それには次の様な条件が附されて居りました。
一 申請書に記載せる計画に従い競走場を建設せられたい。
二 右の競走場建設は直ちに開始し、追って連合会より指示する時期迄に完成せられたい。
三 モーターボートの整備確保のため格段の御協力を願いたい。
四 本競走場の今後の運営について大野町と全面的に協力せられたい。
五 半田市、蒲郡町からも協力方申入れがあった場合はこれと協力せられたい。
 上記四の大野町はその後常滑町と合併し現在は常滑市大野町になって居りますが、当時は競艇事業施行に強い関心を持って居り、競走会に対しても施行権獲得のため町長自ら熱心に陳情や相談に来られたものでした。以上のほかに碧南市、碧海郡高浜町等がこの事業に関心を持って居りましたが、何れも単独開催にまでは踏み切れず、半田市が開催する場合にはこれに協力したいとの意思表示をして居るに過ぎませんでした。
 前記のように競走会発足の年は、徒らに多忙の中に過ぎ去って、二十七年一月連合会より常滑に対して、競走場設置が認可された旨回答されて来た時には、当時者一同ほっとして胸を撫で下したものであります。また、その年四月には長崎県大村市において我国最初の公営競艇が開催され、関係者の意気は益々昂揚されて行ったのであります。
 一方競走実施に備えて競走業務に従事する実務者を確保せねばなりません。とりわけ競走法の規定により、連合会に登録された審判員の確保は必要不可欠なものでありましたが、幸いにして連合会では、六月に大津市内の琵琶湖畔と近江神宮において審判員の養成講習会を開くこととなり、本県からは、既に常滑にて競艇場の建設工事を行なって居た株式会社常滑モーターボート競走協会より杉江達太郎、加賀井直道の両氏及び一般の石田達昿氏を常滑町推薦として、また長田茂雄氏他一名を半田市推薦として、計五名を前記講習会に派遣致しましたところ、前記四名が何れも受講後の試験に合格し、無事登録もされて一応競走会側の受け入れ態勢は整ったのであります。
 同年八月三十日には常滑他三町村の事務一部組合に対し自治大臣より施行者の指定があり、また半田市に対しては十二月一日付にて競走場設置の認可があって、続いて翌二十八年一月十日に施行者の指定があり、外形だけはどうやら整備されて参ったのであります。然し乍ら早くから工事に着手して居た常滑競走場の建設工事は遅々として進捗せず、競走実施期の見通しも立たないままに二十七年も過ぎてしまいました。
 競走会設立に際し運輸省に提出した二ヵ年間の収支見積書には、交付金収入として初年度一、二五〇万円、二年度として一、五〇〇万円を見込んで計上してありましたが、遂に収入皆無のまま、越年の止むなきに至ったのであります。
 二十八年に入って、漸く四月には半田で開催出来る見通しも立ち、必要人員の確保に努めると共に、確保した職員予定者を実際のレースについて勉強させるため、二月より津レース場へ泊り込みで派遣する等、強力に準備を推し進めて行きました。また四月の初開催に当っては大阪府競走会の常務理事松岡賛城氏を技術顧問に委嘱して指導を受けるほか、三重県競走会より経験者の応援を求め万全を期したのであります。
 思えば永い苦しみでした。
 生後間もない嬰児が小児麻痺にかかって身動きの出来ない状態になったのと似たようなものでした。このような苦しみを経て後、各方面から大いに祝福されながら希望に胸をふくらませ、元気一杯歌声も高らかに開催されたレースではありましたが、その売上げは毎回物珍しさに集まった入場者の多い割には好成績とは言い難く、競走実施に必要な諸経費の確保すら覚つかない有様でした。頼みの綱は常滑の開催でしたが、その常滑も七月になって開催されてみると、ここも予想とは違って徒らに見物人のみ多く、両レース場からの交付金で諸経費を賄うのに精一杯の有様でした。
 その上、その年九月の台風十三号では半田、常滑の両レースとも甚大な被害を受けて、レースは一時休催するの止むなき状態にまでなったのであります。泣き面に蜂とはこうしたことを言うのでしょうが、施行者、競走会ともにこの重傷にもひるまず、雄々しく立ち上がりはしたものの、流石に受けた深手の回復は遅く、関係者一同前途に暗澹(あんたん)たるものを覚えたのであります。
 その後三十年八月に至って漸くにして蒲郡競艇が開催され、競走会運営に大きなプラスとなったのでありましたが、それから四年後の三十四年九月には、吾が競走会にとって重大な異変が勃発しました。伊勢湾台風による甚大な被害がそれであります。
 この台風では、半田競艇場の如きは選手控室一棟を残すのみで、他はすべて流失してしまい、場内は一面の砂原と化して再起不能となり、常滑、蒲郡においても建物は全部倒壊して各施行者とも再建の意思決定までには月余の日時を要し、多数の従業員を擁する競走会として見るべき資産もなく、収入皆無の中で職員の生活保証の方策を樹てる一方、施行者側とレース場再建のための協議を続ける等、並々ならぬ苦労をしたものであります。
 幸いにして、年末も押し迫ってから蒲郡、常滑が相ついでレースを再開し、その後順調な進展を続けて参りまして、三十九年には事務所を名古屋市の中心部にある御園会館五階に移し、また四十年には常滑選手寮が竣工し、四十三年度中には蒲郡選手寮も竣工する予定で、常勤役員五名、職員四十二名でその中、登録員は審判、検査合わせて十九名を有し、前途に大きな希望が持てるのであります。


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