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競艇沿革史

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


社団法人群馬県モーターボート競走会
沿革史を記すにあたりて
 我が競走会の沿革を記すに当って、我々の祖先が肇国(ちょうこく)に残した多くの業績が神話という語りぐさとして伝えられている様に、一競走会の創立にも多くの人々が労苦に労苦を重ねながら努力し、しかも何の記録にも留められることもなく、徒らに錯誤、誤解の渦巻く世相の中に単に噂として、語部(かたりべ)による如く細く淡く、あるいはゆがめられながら発展の一路をたどる業界の片隅に葬り去られようとしているのではあるまいか。
 しかし、それらのことがらもこれを土台として、後に続く多くの善意と熱意の人々の働きによって着々と成果を挙げ、現在の繁栄を見るに至ったものと確信し、それらの功績を八百万(やおよろず)の神々にも似たいさおしとしてひそかに祈り感謝しながら筆を執らせて頂きたい。
群馬県競走会の生れと競艇開催に至るまで
 昭和二十六年の通常国会も終わりに近い頃、東京ではモーターボート競走法案の国会通過促進に必死の努力がなされていたが、当時競馬に関係深い荒居養洲氏が、たまたま全モ連に席を置いていたが、ある日宗教関係から親交のあった桐生市の田中義賢氏に群馬県での競艇開催について話合ったところ、深い関心を示した田中氏は昭和二十六年二月知人の関係から太田市に運動を開始し、当時の太田市会議長武川英男氏(後に市長)、自民党の堀越節義氏等との間に約三ヵ月にわたり接渉したが、本事業の見透しに決断つかず、田中氏は運動の方針を変え桐生市に話を移したわけであるが、当初田中氏は笹川良一氏の指導を受けながらその目的は競艇施設会社設立にあった模様であり、友人の紙谷喜久雄氏の経営する紙谷建設に施工を担当させようと画策したが、遂にその実を結び得なかった。
 さて桐生においては、その競艇候補地として阿左美沼に白羽の矢を立てたわけであるが、同所には阿左美興業株式会社社長織田博氏が遊園地事業を経営しており、これに関係する桐生市野間恒次氏を会長に押し織田博氏を副会長として、群馬県モーターボート競走会設立を企図した。しかしながら競走会設立認可が遅々として進捗しないため、競走会役員一同は何はともあれ会設立認可が先決とあって、遮二無二奔走の結果早くも法案国会通過の五日後、昭和二十六年六月二十三日創立総会を開催するまでに漕ぎつけ、一件書類を整えて、同年八月一日正式に伊能群馬県知事宛モーターボート競走会設立の許可申請を提出することが出来た。この陰には磯田係官及び当時の桐生市西山商工課長らの非常な協力が秘められている。
 ところが、その後、当時の自民党小峯柳多代議士(群馬県選出)から、榛名湖を開催地とする競走会設立の許可申請が競願されていた。このため競走会は福井盛太氏を通じて奔走したが、甘利海運局長のもとをすでに捺印通過したはずの申請書類が、一向に認可される様子もない状態に苦悩していたが、こうした最中、連合会への負担金さえも支払っていない現状に、連合会では群馬県競走会の設立不可能と見てメンバーから削除され、運輸当局からも認可取消しをされようとする状態にまで追込まれ、切羽詰った競走会は資金をかき集めて、笹川良一氏を旅先の琵琶湖、京都へと追いかけ懇請した一幕もあった。しかしながらとにかく、競走会の認可が第一条件であり、参加された会員に対する道義的責任を痛感した競走会役員は、山崎運輸大臣に直接会う以外方法がないと、大臣室を訪れ山崎運輸大臣に面接、大臣に対し「現在、政府は各関係官庁に対し、認許可は五週間以内に結論を出して、認許可の諾否を決定通知せよとの通達が出されておる時、群馬県モーターボート競走会が合法的に提出し、且つ事務的には通過している申請書が大臣の手元で保留されておることについて強い抗議と共に一日も早く認可されるよう」懇請した。
 これに対し大臣は「地元から競願が出されて困っており何とか地元で話合ってくれ」とのことであったが「地元では既に調整の余地はなく、また不備な書類による利権業者の行なうような行為に対し、大臣からはっきり結論を出されたい」と懇請したが、大臣は結論を出さず、他の会議があると退席し得るところもなく、その後も荏苒(じんぜん)日を過した。しかるに吉田内閣の改造にて大臣の更迭とともに、昭和二十七年三月二十日付をもって村上運輸大臣により認可の通知を受け、競走会関係者は狂喜した。かくしてまず第一の難関、競走会設立認可もようやく難産の末実現したのである。
 次の問題はまず施行権獲得であるが、太田市に見切りをつけた今となっては桐生市を説得する以外にない。ところが当の桐生市では、かつて該地に対して競馬場設置を拒蹴した歴史があり、更に昭和二十六年の秋、前橋競輪場外車券売場設置問題でも前原一治市長の強い反対から強硬に拒否したこともあって、ギャンブルスポーツは文化都市を自負する桐生市を傷つけるものであるかのような状況であったが、戦災から免れた桐生市に訪れた戦後のガチャ万景気も長くは続かず、その反動によって生じた不景気の影響は一億五千万円の市税滞納を抱えて四苦八苦の状態に追込まれていた。この悩みを解消するには税外収入の道をひらくことが第一条件であるといわれるようになり、一部の市会議員及び市内の有識者が深い関心を持つような情勢の育成につとめ、その効果は市当局及び市議会を動かすような情勢が出来た。
 こうした状況の中で、競走会役員はこもごも、前原市長を説き、更には荒木産業委員長(現桐生市長)はじめ、当時の商工委員西山氏等数名を同行して浜名湖、常滑、半田各競艇場を視察して、まず、一般の理解を深め、とにかく委員会としては施行権獲得の決定を見ることが出来た。しかしながら桐生市当局の煮え切らない態度の中に、賛否両論囂々(ごうごう)として地元新聞などの紙面を賑(にぎ)わしていた。その頃のある新聞には、次の様な某団体の会長談が報道されていた。「競輪も競艇もギャンブル行為には変りないので両者とも賛成出来ない。この前の競輪の車券売場設置問題には婦人会としては反対したが、今度のボートレースについては会議の席上で市長さんから、『ボートレースは太田市でも誘致運動しているので、桐生市で行なわなければ阿左美沼を他都市に利用されてしまう。それでは市としては、しのび難いので実施する事にした』と説明があり、家庭婦人としては好ましくないと思っているが、婦人会としては賛成もしないが反対もしない」と分かったような分からないような世論の中で、だんだんと施行への空気が固まって行ったのである。
 かくして昭和二十九年九月十三日施行者指定の申請を行なうに至り、翌昭和三十年三月十八日、当時の自治庁から認可されるまで苦難の道を歩んだが、三月十九日公営競技自粛に関する閣議決定すれすれのすべり込みは、関係者にとって感激の窮みであったに違いない。この間において、桐生市の施行促進の意図をもって、既に接渉を打ち切った太田市と競艇開催の説明会を開くなどして陽動作戦を行なう一方、施行権獲得には施設設置が重要条件であったので笹川連合会長との密接な連繋と指導の下に、秋山桐生競艇施設株式会社社長の代理として早川競走会専務理事が行動を開始し、笠懸村長赤石晋一郎氏、関口七雄氏、橋場利蔵氏等の協力を得て、岡登用水、待矢場両堰組合、阿左美地区水利組合及び今井伊太郎氏、阿左美興業株式会社、元川養漁場、笠懸村等複雑にして交錯せる利権の解決と了解を得調印をとるため苦闘の結果契約の運びとなったが、更に行き詰まった施設資金の難問を解決するため、笹川良一全モ連会長の尽力によって福井県の酒井建設株式会社酒井利雄氏の協力を得るに至り、一ノ瀬専吉専務取締役の就任をもってようやく着工の運びとなったのである。
 かくして桐生市の開催決定に伴い、調印のため笹川全モ連会長の来桐の運びとなったが、なお調印に至らず業を煮やした笹川会長と早川氏は、外に施行者を見つけるべく薮塚本町長室田直忠氏、笠懸村長赤石晋一郎氏を説いて笠懸、大間々、薮塚本町の三町村をもって組合施行を計画して奔走、笹川会長の命名による阿左美水園競艇組合を結成。昭和三十一年八月三十一日施行者指定の申請を行なうまで、笠懸村長、薮塚本町長、大間々町長等と再々、自治庁を訪れて認可の懇請をし、ようやく翌年三月十五日認可されるに至った。
 この間、競走会は全く資金が枯渇し、役員諸氏の出資と笹川全モ連会長の経済的援助、あるいは競走会の会員の入会をはかりながら、不足がちの資金を背景に苦難な運動を続けたわけである。かくする内に状況判断に迷っていた桐生市当局が急遽、調印の運びとなり、昭和三十一年十一月八日、藤吉男氏(現東京都モーターボート競走会会長)、田辺英之輔氏(現神奈川県モーターボート競走会会長)、藤原常吉氏(現東京都モーターボート競走会専務理事)の義侠的精神の援助と共に関係スタッフの応援を受け、遂に待望の第一レース発走の瞬間を迎えることが出来たのである。追って昭和三十二年五月、懸案の解決なって阿左美水園組合営の開催が認められ、鯉群れる静かな貯水池阿左美沼は、爆音とどろく中に多くのファンにとって近代的娯楽場としての道を歩むと共に、地方財政に大きく貢献することとなった。
競走会の創立と発展に尽くされた人々
 一 昭和二十六年六月、創立事務所開設当時、発起人として活躍された人々は次の諸氏である。野間恒次、織田博、菊地純一郎、櫻井博、韮塚朝吉、秋山松太郎、村田佐吉、牧田宗一、伊藤正直、町田伝七、野間仁一、河合祐司、新井幸長、紙谷喜久雄、田中義賢、元川市之助、籾山琴次郎、田村時太、今井治子、籾山喜佐司、関口実、海野幸世、岩崎新次、荒居養洲
 一 昭和二十六年七月二十三日、創立総会において選出された役員は次の諸氏である。会長野間恒次、副会長織田博、理事新井幸長、紙谷喜久雄、田中義賢、田村時太、関口実、岩崎新次、牧田宗一、尾沢喜良、高村一雄、伊藤正直、富樫千春、海野幸世、野間仁一、籾山琴次郎、今井治子、早川政雄、元川市之助、東京駐在理事荒居養洲、監事櫻井博、赤川猛、河合裕司
 一 昭和二十九年七月二十八日、通常総会において選出された役員は次の通りである。会長笹川了平、副会長野間恒次、織田博、専務理事早川政雄、常務理事紙谷喜久雄、岩崎新次、田中義賢、牧田宗一、今井治子、東京駐在理事荒居養洲、理事伊藤正直、田村時太、海野幸世、野間仁一、元川市之助、籾山琴次郎、監事櫻井博、富樫千春、関口実
 一 昭和三十一年八月二十日、通常総会において選出された役員は次の諸氏である。会長笹川了平、副会長野間恒次、織田博、専務理事早川政雄、理事牧田宗一、紙谷喜久雄、岩崎新次、今井治子、海野幸世、伊藤正直、野間仁一、元川市之助、籾山琴次郎、田村時太、田辺英之輔、藤吉男、富樫千春、監事岸田勇作、関口実、櫻井博
 一 昭和三十一年十二月十三日、臨時総会を開催、笹川了平会長、野間恒次副会長を残して理事辞任に伴い、後任理事の選任を諮ったが、理事全員再任とし、役員ポストについては追って理事会において互選することに決定した。
 一 昭和三十二年一月二十八日、臨時総会を開催、理事会において決定した役員を次の通り確認した。会長笹川了平、副会長田辺英之輔、海野幸世、理事野間恒次、紙谷喜久雄、荒居養洲、岩崎新次、牧田宗一、藤吉男、藤原常吉、伊藤正直、田村時太、今井治子、監事早川政雄、出倉市太郎
 一 昭和三十三年五月二十九日、通常総会において副会長田辺英之輔、理事紙谷喜久雄両氏の辞任に伴い、会長を除く全理事の辞表提出のため、次の諸氏が新役員として選出された。副会長は当分の間欠員とする。専務理事野間仁一、理事岩崎新次、海野幸世、野間恒次、牧田宗一、伊藤正直、藤原常吉、荒居養洲、横山光、石垣兵治、田村時太、監事早川政雄、出倉市太郎、更に、初めて事務局長制を設け神田正種氏(元陸軍中将)が就任した。
 一 昭和三十五年五月六日、通常総会において役員改選を行ない、笹川了平会長以下全員再選した。
 一 昭和三十七年五月二十九日、通常総会において役員改選を行ない、横山光氏死去のため欠員のまま全理事を再選した。
 一 昭和三十九年五月三十日、通常総会において役員改選を行ない、伊藤正直氏死去のため欠員のまま全理事を再選した。
 一 昭和四十一年五月二十一日、通常総会において役員改選を行ない、二名欠員のまま全理事を再選した。
 一 昭和四十三年五月二十四日、通常総会において役員改選を行ない、二名欠員のまま次の通り役員が選出された。会長笹川了平、専務理事野間仁一、理事岩崎新次、海野幸世、野間恒次、牧田宗一、早川政雄、荒居養洲、石垣兵治、田村時太、監事藤原常吉、出倉市太郎
初開催の思い出と成長のあしあと
 昭和三十一年十一月八日、いよいよ迎えた開催第一日。この日は連合会現青木理事や菊池武比古氏をはじめ多くの職員各位、東京都競走会応援の各委員等の指導のもと、開催準備も無我夢中の有様、それでも時間はどんどん過ぎて泥んこ道に石炭殻を撤き施設もようやく条件付合格ということで、午前九時ぎりぎりの初開催すべり込みという状態であったが、とにかく競艇開催の掛け声を聞いて以来、苦節五年有余、全関係者の不安と期待の中に感激の第一レース発走の瞬間を迎えることが出来たのである。全スタンドを埋めた観客の数は実に六千有余名、思いもかけぬ多くの入場に喜んだのも束の間、スタンドのお客様は風呂敷包を展げて御馳走に舌づつみを打ちながらの観戦ぶり、海事思想の普及もさることながら投票券の売上げはサッパリ。
 まず初日の売上げは約二〇〇万円「入場者が多いから希望がもてるぞ」などと励まされたり慰められたり、まことに涙ながらの記録であった。こうした状況の中、出場選手の宿泊日当はおろか、その日の従業員の賃金支払いにもこと欠く有様に、あわてて銀行に駈けつけ借入れの中から賃金支払をすることも再三であったが、こうした初開催の状況も翌三十二年の新春を迎えて、少しずつではあるが変って来た。「せめて一日平均三〇〇万円売れたら」などと溜息を漏らしたのもその頃である。ただ黙々と隠忍努力、一年を経た翌三十三年、遂に第一目標の五〇〇万円を突破。以来売上げ面では順風満帆、大した事故もなく十二周年を迎えたが、今日の隆昌を誰が予想し得たであろうか。
 
初開催を報じた連合会会報
 
 この間においてヤマト三〇型モーターからドイツ生れのケーニヒモーターへ、そして新たに開発された国産ふじモーターへと、常に全国の先頭を強い批判と好奇とまた大きな期待の中を敢然と歩き続け、赤城おろしの下で血涙と共に、一時は五百数十名にのぼる選手のあっせん拒否に堪えながら、ひたすらに努力を重ねて今日を迎えたのであるが神の試煉に容赦はなかった。昭和四十三年五月十三日、第八レースにおいて、人気選手のスタート遅れに不満を持ったファンの過激な行動によって審判台への投石に始まった暴力行為は、遂に投票所を破壊し千数百万円を強奪するという業界初の不祥事を惹起し、初開催以来の歴史に大きな汚点を印したが、あらゆる苦悩に堪えぬいて来た上州魂はなおも強い批判に遭遇しながらも、その再建と発展に反省と努力を重ねながら、十二周年記念競艇において、一億三千万円の一日売上の記録更新をなし遂げ、万丈の気を吐き続けている。
 かくして法目的の達成に邁進する競走会は、常に受任態勢の確立に努力するとともに、関係団体と協力して、県内僻地学校の教材として顕微鏡、オルガン、その他図書等九十一校に贈呈。また、海事思想普及の目的をもって、海の記念日行事として桐生市及び笠懸、大間々等中学校生徒を対象として、毎年三百五十名ずつを氷川丸に一泊招待し、港湾施設その他の見学実習を例年行事として行なう外、各種施設関係への援助をはじめ、学校への、教育施設への寄与に多大の貢献をなし得るまでに発展したのである。
 
スタートラインから見た大時計と主審判塔
 
売上高と競走会交付金の変遷


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