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競艇沿革史

 事業名 組織運営と事業開発に関する調査研究
 団体名 日本財団(The Nippon Foundation  


埼玉県都市競艇組合
「さきたま」から埼玉県
 埼玉県都市競艇組合の沿革を述べるに当って、これを構成している十四市が全県下に散在している関係上、この際少し埼玉県勢の一部にふれてみることもあながち無駄ではないだろう。
 埼玉県は、武蔵の国の東北一帯を占め「さきたま」の昔から江戸周辺の要所として、それぞれの城下街や宿場街が栄えていた。それが一つの行政区劃として現在の姿を整えるに至ったのは、明治九年八月二十一日からである。当時の記録によると、郡十三、村九四八、戸数九一、二三八戸人口四四三、六〇一人となっている。それが現在は、郡九、市二七、町三七、村二九、戸数八四五、二六七戸、人口は三、四六一、〇〇〇余人となり、特に県南地方は東京のべットタウンとして全国第一位の増加率を示している。
市誕生とギャンブル
 市制度が布かれてから市の誕生は、他県より遅く、世評では「市のない県、県庁の所在地に汽車が止まらない県」などと噂されていたが(汽車は本年十月から停車の予定)、大正十一年四月漸く川越市が誕生、続いて昭和八年四月から熊谷、川口両市に次いで順次浦和、大宮、行田、秩父、所沢の八市が誕生した。その後、昭和二十八年町村合併促進法によって新たに十市が生まれ、次いで六市、昨年三市が生まれ計二十七の市の多い県となった。
 この市の中でギャンブルを施行していなかった新十市は県営競艇の移譲を受けて十市競艇組合を作り、新たに新四市が加入して、埼玉県都市競艇組合と改称して現在に至っている。なお、残りの三市、入間市(三吉道雄市長)鳩ヶ谷市(晝間仲右ヱ門)朝霞市(渡辺源蔵市長)も、今年、都市競艇組合に加入する予定であり、これによって県並びに県下全市が競馬、競輪、オート、競艇のいずれかを施行することになり埼玉県はまさにモナコの様相を呈することになるが、一方、利益金均てん化の問題がやかましく叫ばれている今日、埼玉県はある程度、均てん化を促進しているものといえるであろう。
 
埼玉県27市位置図
 
戸田競艇場
「ここは戸田まち、向いは東京、仲をとり持つ戸田の大橋」
 
 この下を流れている荒川はむらさきに煙る武蔵野の奥、秩父の山峡に源を発し、埼玉県のほぼ中央を縦断して下流は東京都との境を流れて海にそそぐ、洪水時にはその名の如く荒れ狂って沿岸各地は甚大な被害をこうむっていた。
 この洪水対策の一環として堤防外に作られたのが戸田競艇場の前身である。都市競艇組合はこの水面を県から施設は戸田競艇組合から借用して競艇を実施している。
名称
 当組合は、昭和三十二年十一月一日一部事務組合設立、当時は「埼玉県十市競艇組合」と称し、町村合併による新十市をもって組織されていたが、昭和三十九年十二月四日にその後新たに市制を施行した四市が加入して名称を「埼玉県都市競艇組合」と改称した。
 
施行市指定認可
昭三二、一〇、二五、自治省告示 第五二号
昭三六、三、一四、自治省告示 第七〇号
(競走法改正問題のため認可期限一年)
昭三七、四、一、自治省告示 第四五号
(オリンピック漕艇場問題のため認可期限一年)
昭三九、一一、一、自治省告示 第一三七号
(認可期限三年四ヵ月)
昭四三、四、一、自治省告示 第九号
(収益金均てん化問題のため認可期限一年)
歴代正副管理者
初代管理者 本庄市長 中島一十郎
〃副管理者 鴻巣市長 栗原光次
二代管理者 狭山市長 石川求助
〃副管理者 春日部市長 山口 宏
現 管理者 深谷市長 木村一郎
〃副管理者 与野市長 白鳥三郎
初めに競輪の獲得運動
 昭和二十八年十月国の施策である町村合併促進法が施行になり、二十九年一月飯能(市長、町田右之亮)が市制を施行、次いで加須(関口茂忠)、本庄(中島一十郎)、東松山(田中実)、岩槻(平野廣)、春日部(山口宏)、狭山(石川求助)、羽生(出井兵吉)、鴻巣(栗原光次)、深谷(安部彦平)が市制を施行し 県内旧八市を含めて十八市となった。
 当時旧八市は、戦災復興の名目で競輪、競馬等を開催しその収益は市財政の資源として大きな割合をしめていた。そこで新十市の市長並びに議長は、しばしば協議会を開き合併後の新市財政を確立すべくその財源を競輪に求めることとし、県及び県議会に競輪開催を認めてくれるよう運動することになった。十市の議長は、新たに「新市財政研究会」(世話人、鴻巣市議長、中屋敷但)なるものを作り、市長側とタイアップして県並びに県議会に請願した。しかし、県は新たに競輪の施行権獲得は困難であり、また、県の競輪施行権移譲は種々問題があるとして、県は県営競輪の売上利益金の五%を補助することで一応解決はみたものの、この五%も一年だけで継続的な約束はなされなかった。
県営競艇の移譲までの経緯
 そこで、本庄市長中島一十郎氏(前埼玉県町村会長)は地元県議塩原圭次郎(前本庄町助役、現組合助役)と謀り県競艇開催権の移譲運動に乗り出すことになった。当時戸田競艇場は、県営年六回、戸田組合営年六回、一日の売上平均は五百万円、入場者は二千五百名であり、県営利益は約五千万円程度の収益が見込まれた。以下は本庄市役所秘書室長佐藤朝吉氏(元当組合事務局長、現、全施協広報部長)の手記から要約すると、
 昭和二二、一、一〇、埼玉県庁第一応接室で新市長協議会を開催し、本庄市長から塩原県議が運動した情報を説明し、競輪の施行権問題を打ち切り競艇開催権移譲が可能なる旨の報告があり、全員了承の上、本庄市長中島一十郎、東松山市長田中実、鴻巣市長栗原光次の三氏を主体として活発なる運動を展開することになった。越えて三月八日、関係市長代表は県知事栗原浩、副知事佐藤八郎、総務部長栗原昌一氏と会見、県側より県営競輪開催権収益金配分に代えて競艇開催権の移譲を考慮している旨の表明がなされた。
 ついで三月十日鴻巣市役所で開かれていた新市財政研究会(新市議長会)にこの旨を報告し了解を求め三月十一日関係市長及び各市議会議長は県庁に集合、競艇開催に関する請願書の調印をまとめ田中東松山市長、中屋敷鴻巣市議会議長が代表となって県並びに県議会へ請願書を提出した。
 この請願書は六月九日の県総務委員会で継続審議となり十二月県会で返戻となった。しかし、この返戻は既に県当局が請願者に対し移譲を表明してあるので県の手続上の都合で返戻になったものである。
県営モーターボート廃止
 県は、前述の表明通り昭和三十三年三月二十四日の県議会に議案第四十四号として県営競艇の廃止を提出し可決されたので県地方課は新十市に対し競艇開催指定市の申請書作成を指導し、同年八月二十二日県を経て自治省に同申請書を提出した。
事務開始
 同年九月十六日、本庄市より佐藤朝吉、鴻巣市より小林弘良(後に村上晋正と交替)、東松山市より千代田勝利が出向し、県庁内国保連の事務室の一部を借りて事務を開始した。
事務所転々
 ひと先ず国保連の片隅に事務を開始したが十月十五日には日本勧業銀行浦和支店の二階の一部というより廊下といった方が適当な所に移り、翌三十三年六月十一日には浦和市県所有の調宮農業講習所内、県物産陳列室を借用、翌三十四年七月十八日、現在の埼玉県自治会館の二室を借用、オリンピックで競艇休止中は一室を返上、再開に当って元の通りにしたが、このとき戸田競艇場内の事務室貸与の問題もあったが、そのままということになり目まぐるしい事務所移転もようやく現在の場所におちついた。
初開催について諸契約
1 開催の当初三ヵ月間は埼玉県競技事務所より発売、自衛警備、番組事務の指導をうけ、又戸田競艇組合職員(相互開催事務を協力する申し合せ)の協力を得ること。
2 陸上施設は、戸田競艇組合の所有によるもので借上料として、売上金額の百分の三を水面使用料として売上金額の百分の一を県に支払うこと。
3 オーナーは、戸田競艇組合三分の二、十市競艇組合三分の一の割合で所有し整備員の人件費及び諸経費はこの割合で負担する。(県より引継)
 以上のような契約のもとに施行することとなった。
初開催日の決定
 三十三年十二月十二日午前十時、第一回組合議会を浦和市勧銀の会議室に招集、正副議長の選挙並びに各条例等二十四議案について審議、議会終了後「初開催について」審議に入り、管理者中島一十郎市長より「元旦からギャンブルの開催を無理にしなくとも」との発言があったが競走会阿久津常務及び職員より「県内類似競技に競合せず開催出来る好機会は他にない、この業界は日曜、祭日の人の遊ぶときに開催することは当然である」と強い意見があり、元旦から初開催に踏み切った。
埼玉県十市競艇組合営 初開催
期日 昭三三、一、一より六日(六日間)
発売金額累計 五四、三二九、〇〇〇円
返還金額累計 六四〇、五〇〇円
売上金額累計 五三、六八八、五〇〇円
入場人員 二四、一六五名
一日平均売上 八、九四八、一〇〇円
一日平均入場人員 四、〇七七名
オリンピックでまた難航
 漸く競艇実施によって一息ついたところ、思いがけない難題が持ち上った。それはオリンピックの問題で、競艇は一時中止か或いは永久になくなるかの瀬戸際に立たされた。
 昭和三十四年五月、一九六四年の東京オリンピックボートコースとして戸田競艇場が第一候補地としてあげられ、第二候補地神奈川(相模湖)、千葉(手賀沼)が上げられ六月十五日、日本漕艇協会臨時会が東京で開かれ選考委員を設け再検討することになった。
コースの争奪戦と反対運動
 この問題について県は名誉のためにも招致したい、日漕は招致は勿論これを機会に戸田から競艇を追放して日漕独占のコースにしたい、地元は賛否両論、競艇職員並びに従業員は絶対反対、他の予定地は自己の場所への招致にやっきとなり、各運動が政治的に発展して三十四年から三十七年迄三年有余、問題は紆余曲折して戸田での漕艇競技開催があやぶまれるに至った。


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