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5-4 今後の課題と動向
 これまで、米国の民間セクターにおけるナノテクへの取り組みについて検証してきた。技術に対する期待感、そして研究開発が盛んに行われていることはわかったが、その一方で、今後解決しなければならない課題も山積している。以下にナノテク関連企業が直面すると考えられるいくつかの課題を提示し、検証していく。
 
5-4-1 現状の課題
(1)「特許戦争」:特許取得による侵害訴訟。すでに、ITやバイオテク業界で問題となっている特許侵害訴訟はナノテク分野でさらに悪化すると見られている。
 多くのナノテク関連企業は莫大な資金を注ぎこみながら、商品化にこぎ着けることができずにいるのが現状である。IPOによる資金調達という手段も非常に難しい状況下、期待できる収入源としては、開発した技術を他社ヘライセンス供与していくことが考えられる。このため、自社で開発した技術をいかに特許という防壁で守り抜くかが非常に重要になってくる。
 ラックス・リサーチによると、米国で認可されたナノテク関連の特許件数はおよそ3,818件で、2005年3月現在、さらに1,777件が申請中だという。これは非常に膨大な数に映るが、その多くが重複していると考えられている。
 その原因としては、米国特許商標局(USPTO)側でも大量かつまったく新しい分野の特許申請が行われていることから、申請書類の重複を見逃してしまうことが指摘されている。そのため、「見えざる特許」によって、技術開発を進めてきた企業が特許侵害で訴えられる危険性が出てくる。類似した特許を所有していれば、当然、双方の特許を照らし合わせながら、その有効性が審理されることになる。その間にかかる莫大な訴訟コストが新興企業に与えるインパクトは計り知れない。
 また、取得した特許が果たして商業的価値を持つのかという疑問もある。例えば、ラックス・リサーチによると、クウォンタム・ドット関連特許は、素材自体を網羅しているが、応用先を特定していないものがほとんどだという。従って、同分野におけるIPの商業的価値に対して専門家が懐疑的になっている。そのほか、フラーレンに関する特許が無数に存在するが、そのほとんどが役に立たず、中には特許の維持費を支払うのをやめたため、すでに特許自体が取り消されているものも少なくない。
 基礎技術の特許の多くは、大企業が抑えている。新興企業が枝先の特許を主張しても、その周囲の関連技術を特許で固められてしまえば、実用化の道が閉ざされてしまう可能性もある。
 特許の問題は米国内だけにとどまらない。国際的な特許の保護がゆるい国での特許侵害も今後大きな問題になってくると見られている。例えば、金属酸化物を使ったナノ粒子の開発は非常に活発で、日焼け止めからロケット燃料まで様々な応用が試みられている。現在、世界におよそ74社の関連会社が存在するが、そのうち8社が中国に存在するという。これらの中国企業は、他社と同じ製品を15〜20%割安で提供できると宣伝している。人件費等の派生コストによるところも大きいが、欧米諸国の特許技術を模倣しているという疑いも強い(ラックス・リサーチ)。小規模企業にとって、国内外で直面する特許問題にどう対応していくのか、戦略的に考えていく必要がある。
 
(2)頭脳流出:これまで、米国の科学技術力の基盤を作ってきたのは、世界各国から豊かな国を求めて集まる優秀な人材だった。そして、常に技術力を推進するだけの博士や修士を生み出してきた。
 しかし、ここにきて、人材の流出というこれまでになかった事態に米国が見舞われている。まず、2001年に起きた同時多発テロによって、米国のビザ発給審査が厳しくなったことが挙げられる。これは学生だけにとどまらず、優秀な外国技術者が米国内で就労する際の足かせにもなっている。そして、海外のアウトソーシング事業がこの人材流出に拍車をかけることになった。
 米国ライス大学のリチャード・スモーリー博士は、2010年までに物理系の科学者の90%がアジア系によって占められ、そのうちの半数がアジア圏にとどまると予測している。スモーリー博士の予測が正しければ、これから技術先進圏がアジアにシフトすることになる。さらに、こうした米国の状況は、欧州の大学への関心度を高めることになり、欧州からの学生を引き寄せることができなくなり、頭脳を集める求心力を失うことになる。
 事実、半導体から製薬会社まで、製造拠点を米国から人件費や設備コストの安いアジア諸国へ移転する米国企業が増加している。これにともない、これらの国々での雇用が増加している。現地で従事する技術者達は、米国に比べて賃金は安いものの、各国の物価を考慮すれば破格の給与を受け取れる。このため、米国で教育を受けたアジア人学生が本国へ戻る、あるいは米国で働いていたアジア人が帰国して現地法人に再就職をするというトレンドが生み出されつつある。
 米国の企業は、優秀な人材を確保していくのが困難になると同時に、育成した外国人材が本国へ帰国してしまい、技術の引継ぎ等が円滑に運べなくなる可能性もある。
 また、国家自体が、外国の資本や技術の移転に積極的な場合もある。例えば、シンガポールでは、国を挙げてバイオテク、ハイテク産業の育成に力を入れている。最近では、ナノテク分野でも同様の育成をしていく方針を打ち立てている。資金繰りに困窮した米国内の小規模事業者らが、資金提供の申し出があれば、移転していく可能性は非常に高い。
 
(3)製造工場の問題:小規模のナノテク関連会社がさらに直面するのが製品の製造である。通常、製品が出回るまでには、少量を実験的に製造して、その後試験製造を行う。多くの関連企業が実際に製造工程で問題に直面することになる。
 これらの企業は技術開発に注力し、製造のノウハウを持たないのが現状である。政府や大学の研究機関等も、技術開発や起業の手助けはするものの、こうした製造に関するノウハウに対して、アドバイスを与えることが少ない。アナリストは、多くの新興企業が数億ドルの莫大な資金を費やして無駄な製造プラントを建設し、さらに、それぞれが建設した製造プラントが類似しているという事態を招きつつある点を指摘している。
 従って、多くの製造プラントの稼働率は非常に低い。今後は、政府教育機関等が製造に関するノウハウに対する指導を強化し、さらに民間が製造プラントの共有事業等を進めていくことで解決できると考えられる。また、海外の安い製造プラントヘ依頼する方法もあるが、特許技術の流出等のリスクを考慮する必要がある。こうした中、民間のナノテク関連団体が担う役割は非常に大きい。
 
(4)資金枯渇:小規模事業者の多くが資金ショートに追い込まれていくと考えられる。これらの企業が取る方法は、(1)大企業への身売り(2)技術ライセンスの販売(3)第3者からの資金提供(IPO)、等に限られる。とりわけ(3)に関しては、米国のVCが消極的なことから、海外VCや企業からの支援を受けることも考慮していくべきだろう。IPO自体も市場がそれほど活発的でないため、どこまで市場から資金調達ができるのか懐疑的に見られている。中にはIPO寸前まで行き取りやめた企業もある。
 米国の小規模事業者にとって、他国からの資金調達は今後、生命線の1つになっていくと考えられる。特に、米国についでナノテク研究開発が盛んで、資金力のある日本企業との提携は、小規模事業者にとって新たな活路になる可能性が高い。
 
(5)環境問題:ナノテク産業が真剣に取り組まなければならない課題の1つが環境問題である。一般市民からは、ナノテク物資が、環境や人の健康に危害を及ぼす可能性を懸念し、規制を求める声が高まっている。
 現時点では、関連製品の数が少なく、ナノ粒子自体がまとまった状態や商品に組み込まれた形を取るため、深刻な危険がないと見られている。しかし、(1)製造工程における従業員の健康被害(2)廃棄後に環境に及ぼす影響、といった問題に関しては今後、商品が氾濫するにつれて危険性が高まると見られている。
 現行で、ナノテク物質がどれだけ人体に影響を与えるのか未知数である。しかし、動物実験ではすでにこうした問題が注目を集めるまでになっている。例えば、炭素のナノ粒子やナノチューブは普通の微粒子とは行動様式が異なり(1)ネズミの肺に炎症を引き起こす(2)魚の内臓にダメージを与える(3)環境に重要な水中微生物や土中バクテリアを殺す―等が研究で明らかになっている。
 また、最近の研究では、酸化アルミニウムのナノ粒子が大豆やコーン等の穀物の根の発育を妨げることや、ワクチン等を体内に送る方法として考えられているナノ粒子の1種が免疫反応遺伝子を刺激する可能性が指摘されている。さらに、ナノチューブは細胞死を促す遺伝子を活性化させる。
 現在米国では、約800の施設で700種類のナノテク素材が使用されていると見られ、連邦機関も真剣にナノテクの安全問題に取り組み始めている。しかし、特別な規制を導入した機関はないのが現状である。米環境保護局(EPA)はナノテク自体への理解度がまだ浅く、現在製造しているナノテク製品と環境や健康リスクに関する情報をメーカーに提供するよう要請するにとどまっており、科学者等から不十分との批判が出ている。
 2005年11月に環境団体やナノテク業界の代表を呼んで行われた議会の聴聞会では、連邦政府はナノテク関連予算の約10〜20%に相当する年間1〜2億ドルを環境、健康、安全問題に投じるべきとの意見が提出されている。しかし、2005年の関連予算は3,900万ドルにとどまっており、企業側も商品の影響に関する研究に十分な予算を投じているところは少ない。
 環境問題が発生すればどのような経済的な負担を企業に強いるのかは、アスベスト訴訟を見ればわかるだろう。これまでの科学の常識から考えられない作用や反応を示す極小分子が、仮に人体に混入すればなんらかの影響を与えることは想像するに難くない。国側としても関連法の整備は急務と言える。
 
5-4-2 考察
 実際、多くの企業がナノテクを看板に掲げているが、名前ばかりでまったく異なる分野に位置するというケースが少なくない。これは、資金調達に際してのイメージ戦略と言われている。実際に、ナノテクに特化した企業でIPOを行った企業はほんの一握り。さらに、その中には、ハリス&ハリスのような、インキュベータというケースもある。2006年を境に、商品化に成功する企業が増えてくる。米国市場はその地位を追い上げる発展途上国、欧州や日本といった先進国地域から脅かされている。しかし、それでも米国がナノテクを主導していくだけの力は十分に存在する。
 ナノビジネス・アライアンス(NBA)のディレクター、ショーン・マードック氏は、技術分野でのリーダー的な立場を失いつつあるも、米国の開発基盤は、非常に体系的に整備されているため、ナノテク開発を戦略的に進めていくことが可能な点を指摘する。同氏によると、米国が他の国と異なるのは、開発と製品化の双方で力を持っていることだという。
 当面は、コスト削減が可能になる技術を求める大企業が主体となってナノテク開発が進んでいく。一方で、2006年にはいくつかの企業がIPOを果たすことになる。それが、逆に投資家の注目を集め、ナノテク市場に資金が流入する引き金になると見ている。
 ナノテク市場の規模というのは非常に決めにくい。例えば、メーカーがナノテク素材を使って新製品を作る。その製品の市場価値が通常製品に比べて30%割高だった場合、ナノテク素材部分の売上げを考えるのか、最終商品の売上げを考慮するのかによって大きくずれが生じる。そして、このずれがいずれの分野でも起きるため、ナノテク市場価値を売上げの規模で定義する意味はあまりない。
 ただ、現段階では、商品化されているものも少なく、評価の段階であるため、ある程度の市場規模を概算する必要がある。2007年以後、製品として市場に受け入れられる段階に到達すると考えられており、そうなるとこれらナノテク企業の将来性は、その技術が応用される市場の規模によって判断できるようになる。


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